すっかり紅葉が美しい季節となってきました。
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本日の屋外ウォーキングにて。 少しずつ色づいてきた木々。 |
しかしここ数日はとても暖かくてまるで夏が戻ってきた感じ。あれですね、『インディアン・サマー』というやつですね。^^
どこもかしこもタンクトップに短パン、そしてビーチサンダル状態ですよ。
しかし。
20年前の今日、ピッツバーグは見事な紅葉でした。
今日10月19日は、英語もほとんどわからず、知る人もいないここアメリカへ大きな荷物を抱えて一人でやってきた私にとっての記念すべき日なんです。
夢の実現に第一歩踏み出した記念日なんです。
20年前の当時、『渡米』に夢と期待を膨らませ、これからどんな生活や経験が待っているんだろうか、と胸をワクワクさせてやってきた若きえのふむちゃんはまだ25歳でした。(笑)
アメリカに行きたい!と言ったら両親は絶対に反対するだろうと見込んだ私は、影でこそこそ下準備をして全て決まった後で両親に渡米の話をしました。
頭ごなしで反対せずに「1年間だけ」という約束で許可してくれた両親。
きっと心のなかで葛藤があったことでしょう。
短大時代の友達数人とともに両親そろって空港まで見送ってくれました。
関西空港へ向かう車の中で、今まで見た事のない母の涙を見て驚いたのを今でも覚えています。
私は小さい頃から・・・
勉強できないし、整理整頓できないし、性格悪いし、わがままだし、ってことで問題児だったんです。相当まわりから心配もされただろうし、手のかかる子供だったと思われます。
そんな子供だったもんですから、誰からも褒められる事はなく、いつも「私はダメな子」とか「みんなから嫌われてる」といった被害妄想が常時ありました。^^;
ですから両親から、特に怒られてばっかりいた母からは愛されていないとばかり思い込んで育ったのです。
私のことを「やっかいな子供」と思っていただろう母が空港へ向かう車の中で涙を流しているんです。
びっくりしました、というかショックでした。
こんなどうしようもない私のことも母はちゃんと愛してくれてたんだーと。
一緒に生活していた今までの間になんで気付かなかったんだろーと。
ちょっと悔しい気持ちでした。
それからですよ、母に対する私の気持ちと態度が変わったのは。
4回も5回も反抗期があった私の人生ですが(笑)、これからは素直に気持ちを表現していこう!と思いました。
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20年前の今日10月19日。 関西空港で友達と両親が私の門出を祝ってくれました。 |
10月19日から始まった初めての海外生活。
カーネギーメロン大学内にある幼稚園で昼間はインターン。三ヶ月ごとにホームステイ先が変わり、いろんなアメリカ人家庭やらアメリカの幼児教育やら、アメリカの文化やら、アメリカの環境やら食生活やら、とどこにいても何をしても新鮮で新しい発見と経験ばかりでした。
寝る時間も惜しいくらい、毎日とにかく楽しくて楽しくて仕方なかったのです。
日本にいた頃の窮屈な『看板』がついてこない。
例えば・・・
「◯◯幼稚園のえのふむ先生」とか
「◯◯さん家の次女のえのふむちゃん」とか
そういった「なんちゃって看板」がなく、『えのふむ』という一人個人で生きていける、私のことを誰も知らないここアメリカの生活がとても開放的で心地良かったんです。
そのうえ、「女の子だからしてはいけない」とか「25歳だから25歳らしく」とか
そんな無意味なルールなんかここアメリカにはなかったし。
いや〜、ほんとに気持ちが開放されました。観光旅行とは違ってホームステイ中にご馳走になったアメリカの家庭料理はけっこう美味しかったし。^^
でみるみるうちに放牧状態の豚みたいになっちゃいましてね。^^;
約束の渡米一年後にはなんと10キロも太ってしまってました・・・ひえ〜!
一年後にいったん(『いったん』ってどゆこと?!)帰国した際には、丸々太った私の姿をみた両親はびっくりして「アメリカでの生活が幸せなのね〜(汗)」と言われ、気持ちを素直に表現すると心に決めた私は母に愛情表現のハグをしようとしたら逃げられました。T_T
『一年だけ』という当初の約束はどうなったのか、20年経った今でもまだここアメリカにいてる次第です。
今でこそ消えてしまいましたが、ずっとアメリカに恋心を抱いてました。
毎日何もかもが新鮮で彼氏なんか全然いらんかったし。(今は『できない』に変化しましたが。^^;)
20年も住んでると毎日の生活は現実的となり恋心なんてどっかへいっちゃいましたが、それでもまだここに残っている、ということは、私はアメリカと縁があるんだなーと思うし、やっぱりここアメリカの生活が好きなんだと思います。
アメリカのイヤなところもたっくさん見て来たし、毎日うんざりすることもしばしば。
でも
おおざっぱなところが好き。
いい加減なところが好き。
合理的なところが好き。
フレンドリーなところが好き。
楽観的なところが好き。
前向きなところが好き。
『今』を生きてるところが好き。
今日なんてオフィスのトイレに行ったとき、トイレの個室から同僚が出てきて鼻歌を歌ってるじゃないですか。
「何かいいことでもあったの?」と聞くと「特に何もないよ」というんです。
日本でだったらトイレの個室に入りながら普通は歌を歌わないですよね・・・?!
うちの上司も毎日オフィスで口笛吹いてるし。
こういう日常茶飯事のことも日本で見られる光景ではないなぁーと今更『アメリカ』を痛感し、気楽に楽しい雰囲気のなかで毎日お仕事させてもらって、毎日きちんと定時で退社させてもらえることに感謝しているわけです。
あと何年この国で暮らす事になるのか(来月8日の大統領選挙の結果次第?!)わからないけれど、納得のいくところまでとことんこの国でがんばっていこうと思います。
ちなみに20年前のこのえのふむちゃんがまだ25歳だった当時は・・・
- 渡米前、携帯電話をまだ持っていなかった。
- ブラウザは『ネットスケープ』が主流だった。(知ってる人、いるかしら?)
- 日本でメールアドレスを持っている知人がいなかったのでアメリカからメールを送信することができなかった。
- 国際電話通話1分がおそらく200〜300円くらいしてたと思う。
- エアメール用の切手が一枚60セントくらいだったと思う。
- ガソリンが1ドル台だったと思う。
- 日本への往復航空券が安いときだと500ドルくらいだった。(2000年に切り替わるときのフライトなんて日本行きが往復たったの200ドル(約2万円)だった!恐)
- アメリカの車の免許が30ドルくらいで取得できた。
- アメリカでも当時まだ携帯電話が普及していなかった。
- 知らないところへ行くときはマップクエストで地図と道順を印刷してそれをみながら運転してた。
書き出すときりがありませんが、この20年間を振り返ってみると本当にいろんなことがありました。今日、戸外1時間ウォーキングしてる際に20年間の思い出が走馬灯のようにかけめぐり、感極まってしまいました。T_T
20周年記念に今日は何かアメリカらしいものを、と考えましたが、ステーキ食べにいくのもあんまりだし、アメリカらしい景色、例えばグランドキャニオンのような壮大な景色を見たい!と思っても旅行から帰ってきたとこだし、ってことでウォーキングとこのブログをアップすることだけでこの記念日は終わってしまいそうです。
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もう一度見てみたいアリゾナ州の「グランド・キャニオン」。 こんな壮大な景色をみたら人生観、変わるだろうなぁ。 |
アメリカにいる方もそうでない方も、どうぞこれからも末永くこんなえのふみちゃんとのお付き合いよろしくお願いします♪
プレドニン7mg(昨日から1mg減量して7mgに。)
イムラン100mg
プラクネイル400mg(昨日から倍の400mgに。)
オメガ3 1錠
鉄剤1錠
ビタミンC1錠
はとむぎ茶