2018年5月24日木曜日

見た目はおっさんでも涙

こちらに戻って今日でちょうど一週間になりました。
早いものですね。あっと言う間に時間が過ぎていってしまう・・・。

相変わらず両親のことを想ってはところ構わず、状況構わず、時間構わずって感じでポロポロ涙を流してる次第です。^^;

会社で毎日目を真っ赤に腫らしてたらさすがにあれなんで、仕事中は考えないように思考を停止するようにしてますが、気が緩むとまた同じことを考えたり、両親との会話を再生しては泣く、の繰り返し。

しばらくは「泣くな!」と言われても仕方なさそう。

この私のブログを読んで励ましのメールやメッセージをくださったお友達、どうもありがとう。
それぞれの立場でそれぞれ思うところを聞かせていただき、今の私は救われる思いでした。
子の立場から、また親の立場からの思いなど聞かせてもらって、親の経験がない私にとっては多少なりとも自分を納得させることができる部分がありました。

ある友達に言われたように、

どれだけ親孝行してきたつもりでも「もっとあれもこれもできたんじゃないか。」とか「あのときもっとこうしてあげたらよかった。」と自分で満足のいく親孝行なんてないだろうし、後悔は必ずなにかしらの形で残るということ。

親にとっては、あれこれしてもらったことよりも、子供たちである私たちが親を想うその気持ちが何よりの親孝行であり、健康で幸せに暮らしているというそれ自体が親孝行になるんだということを改めて気付かされました。

幸い私は兄妹がたくさんいたからこうして海外で自分の夢を追いかけながら自分の生きたいように、したいようにさせてもらってるけど、健康であっても離れているだけで親には心配をかけてしまうものなのに、私の場合はこんな身体で独り身。親が心配するのもムリのない話で。
海外へ出て親から遠く離れて生活するのなら、せめて健康だったり、幸せな家庭を築き上げることができていたら・・・親の心配はぐっと軽減されてたことでしょう。

健康になれないなら、幸せな家庭を持つことができないのであれば、せめて親の側にいながら顔を見せて安心させてあげるくらいのことをすべきだったのでは?と、それだけが発病してからのこの15年間の反省です。(後悔ではないよ。)

と真面目くさった、おも〜い話になってしまったけれど、今日は私の思うところを書いてみました。

16歳で親元を離れ、アメリカへやってきて22年。
渡米の際に、親には1年で帰ってくる!と約束して出させてもらったのに今もまだこうしてアメリカにいる私。

ここアメリカに愛する旦那様がいたり、愛する子供たちがいるのならまだアメリカに残る理由は理解できるし、もしそうなら日本にいる両親もそれはそれで幸せでしょう。

離婚してアメリカに残る理由もないのに、そのうえ病気だらけの単身。
そりゃ親に心配かけちゃうわよねぇ。^^;

日本に永住帰国する、となると今のここでのすべてを諦めないといけないことになるし、それはそれは大きな決断となるのでそう簡単には「はい、帰りましょか。」とはいかないけれど、今までとはちょっと違った角度から(偏見をもたずに)これからのことを考えてみようかと思います。




服用薬あるいはサプリメント:

三日間で体重3キロ減(これでもう大丈夫!)

焦点合いません。
昨夜のヨガで左手首に炎症。(右手手術から初ヨガでした!)


プレドニゾロン(ステロイド剤)10ミリ
イムラン(免疫抑制剤)100ミリ
プラケネル(免疫抑制剤)200ミリ
アスピリン 82ミリ
処方箋DHEA(ホルモンサプリ)100ミリ
オメプラゾール(胃薬)1錠
カルシウム
ビタミンD
ビタミンB
QPコーワゴールド1錠



6 件のコメント:

  1. 最近のえのふむさんのお気持ち、立場、オーバーラップして痛いほどわかります。。。

    どうか体調崩さないで、ゆっくりと休んで下さいね。

    おやすみなさい ^^




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    1. みうさん、ありがとうございます。
      海外で生活するということは、親のことも含めてそういうことすべてを覚悟しないといけないということですね。
      そんな自分でだした決断にも責任を持つということでもありますよね。

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    2. 私たちのように日本へ帰国する時間が長距離で、長期海外在住者は、いろんな覚悟と決断を持って生きなければいけない。。。か〜

      痛いなあ〜

      決断力に責任か〜 

      わたしには、全く痛い言葉だなぁ。。。(;▽;)

      決断力がぶれぶれで、自分のことしか考えられずにここまで生きてきたわたしは、7年前に脳梗塞の後遺症と膠原病との戦いの限界で何十年ぶりかに家族に甘えようと大決断で日本へ帰国。わたしは、家族と一緒に暮らすことではなく独り暮らしの叔母の家に住むことを決めNYに帰国し荷物をまとめていた時に東日本大震災で住居も街も日本移住計画も津波に流されました。

      ということで、わたしの様に天災にて大決意が流れる時もある。(;▽;)

      全くもって、人生には様々な想定外のことが起きますよね。

      震災後、あれだけ帰ってこい!といっていた家族や親戚が初めて「家族の誰かが海外にいるのも悪くないね。ずっといていいよ〜 でもなんかあったら直ぐに帰ってきてね。」と言ってくれるのですが、、、最近では、日本帰国した後はホームシックが酷くface timeで、姪っ子と老いた母と大泣きします。w そして、帰りたい気持ちの方が近年増していきますね。 

      でも、私たちの生活の場所はアメリカ。家族との別れの時は辛いね。増してや会うたびに老いていく両親との別れは。。。本当に辛い。遠くに離れて暮らしていると、両親や家族の最後の別れに立ち会えないのでは?と、不安もしばしよぎります。

      しかし、主人と出会い結婚して(最近、47歳の時に再婚です。何が起こるかわかりませんよ人生は。)今度はアメリカで生きる覚悟と戦っています。^^;

      大切なことは、自分が納得がいくまで考えることかもしれませんね。説得と納得では月とスッポン程違うからね。そして、自分の心に素直に自然のままの気持ちを見極めて、常にどう生きたいのか考えることも大切ですよね。

      ひょっとして、無理して決断とか責任とか白黒つけなくても、グレーでもいいんじゃないのかしら。。。きっと、答えは一つではないはずです。色んな人の様々な考え方を参考に「自分らしい生き方」を見つけていくことが大切なんじゃないかなぁ。。。

      な〜んて、無責任なわたしの言葉ですみません。m(_ _)m

      今回、えのふむさんの悩みを打ち明けてくれて本当に感謝してます。わたし自身しっかりと自分と向き合い納得いくまで幸せな人生を歩む覚悟ができるように頑張ります。

      全ては、えのふむさんが幸せになる方向に進むことを祈ります。^^




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    3. ありがとうございます。みうさんも帰国を考えたことがあったんですね。大決心をしたにも関わらず、話が流れてしまうなんて… きっとアメリカとの縁が強かったんでしょうね。だからこそ再婚という運命も舞い降りてきたわけで。自分で決めたつもりでも、これも結婚と一緒で縁の問題かも。
      帰国しないといけないときや、した方がいいときがくれば自然とことが運ぶんでしょうね 

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  2. 先日は長文になってしまいすみませんでした。m(_ _)m まとめますと。

    「帰れる家があり、故郷があり、そこで待っている家族が生きていることは奇跡。」なんですよ。この中の一つでもあれば、幸せ者ですよ^^ 

    どんな運命が待ち受けているかもわからないのが明日という未来です。^^

    「あ〜 そっちじゃない!」「なんでそこにチャンスがあるのにこいつはケータイばかり見てるのじゃ!」と、神様は私たちを上から見ていて日々、運命帳を作るの楽しんでいるのかもしれませんよ。w

    私たちがいつも体の声を聞いて病院に行く様に。私たち人間も天の声をしっかりと聞いて歩まなくてはいけないのかもしれませんね。そういう意味でも身も心も自然体がきっと一番ですね。^^

    こちらも低気圧が来ています〜
    どうか、お大事にね♡

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    1. その道しるべを何らかのきっかけを通して神様は教えてくださっているのかもしれませんね。それに気付けるアンテナを張っておかないと、タイミングを逃してしまうかも。
      アメリカとの縁があったから今もこうしてアメリカにいるんですが、これからも縁があるとは限らないので、あれもこれも条件が自然に揃ったときが旬ですね。(*^^*)

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