2024年11月12日火曜日

Quiet quitting

心身ともにもう限界。

仕事がある有り難みはあるけど、仕事辞めたい。


2024年11月11日月曜日

診察予約とれました

 やっと心臓の’ドクターの診察がとれた。

11月20日。11時。

とりあえず会って話をしてこよう。

お薬の見直しをしてもらおう。


それまでに手術をアメリカでするのか、日本でするのか、決めなければいけない。




自分を大切にするということ。

自分の甲斐署で旅行に行けるようになった20代のころは、とにかく安いホテルや旅館をとって安いチケットを探し、友達と旅行していた。

30代になって一人でも旅行へ行くようになった。

若い頃は、

「今は若くてお金もないからビンボー旅行しかできないけれど、歳を取って少し収入も増えれば並みのホテルに私も泊まれるようになるんだろうなぁ」

と思っていた。

でも現実はそうではなかった。

50を過ぎて、そこそこの収入を得られるようになった今でもビンボー旅行は変わっていない。

人並みの収入があるんだから年相応なホテルに泊まればいいのに、と思うのだけれど、貧乏性だからなのかいまだに並み以上のホテルを予約することができないし、食事にお金をかけることができない。

情けない話だ。


自分にはお金をかけれないのだ。


けれども好きなにちゃんねるのひろゆきさん曰く、それでいいのだという。

収入が増えても生活レベルを変えるべきではないと彼は言っている。

だからこそ節約ができるのだ、と。


でも何があるかわからない年代に入った。

これだけ病気を背負って生きている私は特にいつまで生きられるかわからない。


これからは節約をしながらも食べたいときに食べたいものを食べ、旅行するときはそこそこ心地よいホテルを選ぼうと思う。

肌ざわりのいいタオルを使い、着心地のいい下着やパジャマを着る。

少々高くても足の痛くならない靴を履く。

普段頑張っている自分へのご褒美として行く旅行では、清潔で居心地のいいホテルに滞在する。

飛行機の座席は追加料金を払ってでも足元にスペースある座席を選ぶ。


これが「自分を大切にする」ことなのだ、とやっと思えるようになった。





犠牲にしてまで?

この週末は三連休。

三連休の一日目は、普段の週末には飲まない濃いスタバのコーヒー を煎れて飲んだのでカフェイン強すぎて朝から動ける動ける。
なかなか売れなかったCrate Barrel の大きな本棚が売れ、朝から引き渡し。
本棚があったスペースがようやく空いたので買ってあった仕事用パソコンデスクを組み立てて設置。

今までダイニングテーブルで仕事してたので、少しだけダイニングがすっきりした。

組み立て途中に友達が来てくれ、途中から手伝ってくれた。
久しぶりにソファに座ってゆっくり話ができた。
彼女のことが大好きなアーニーはもちろん大喜び。最初から最後まで彼女の傍でメロメロだった。
さすがにお兄ちゃんになったので、昔のように「嬉しょん」はしない。笑
*「嬉しょん」とは嬉しいときに興奮しておしっこをちびってしまうこと。

夕方の散歩にも付き合ってもらい、一緒にタイ料理を食べにいった。

毎週土曜日は朝から晩までまる一日動けないのに、カフェインの大量摂取で無理やり動ける身体にしたこともあって夜になって動けなくなった。
翌日の日曜日も祝日の月曜日も休んでも休んでもまったく楽にはならなかった。

散歩がキツイ。
この週末は倦怠感だけでなくひどい頭痛もあった。
身体が重く、思うように動けない。引きずるようにしてなんとか一日4回の散歩をこなした。

先週から始まった冬時間。
夕方5時にはもう真っ暗。

平日は5時まで勤務。でもどんなに早くてもアーニーを外に連れ出してあげられるのは5時半以降。すでに外は真っ暗だ。
せいぜい近所を散歩することくらいしかできず、フリスビーをして遊んでやったり、アーニーの好きな公園へ連れて行ってやることができない。

なのでせめて週末だけでも、と平日には行けなくなった公園へ昼も夜も車に乗せて遠くまで連れていってやることにした。





平日にできないことを週末にする。

平日にたまった疲れを週末にゆっくり休んで回復したい。
平日に連れて行ったり遊んでやれない分、週末にしっかり遊んでやりたい。

でもその両立は難しい。
これが現実。

健康な身体が欲しい。

呼吸もだんだん悪化し、少し歩いただけで息切れ。
休憩なしでは散歩もままならない。

心不全の症状は、息切れ、動悸、脚の浮腫み、だけではない。

血液が正常に全身に流れないため疲れやすいといった症状もある。


健康な体が欲しい。
アーニーともっと遊んでやりたい。
仕事以外の時間(プライベートの生活)もしたいことをしたりして充実させたい。

今は平日は朝から晩まで仕事。
仕事以外の時間はアーニーの世話。

週末はときどき仕事。
それ以外はアーニーの世話かソファで横になって休んでいるかのどちらかのみ。

今の仕事を辞めない限りは時間と心にゆとりある生活はできない。
人生あっという間に終わってしまうというのに50を過ぎた今、自分を犠牲にしてまで働くだけの価値があるのだろうか。
なんだかとてももったいないことをしているような気がしてならない。







2024年11月4日月曜日

ドクターから電話あり

今朝、週明け早々9年前に手術した病院のドクターから電話がありました。

先週のうちに電話できなくてごめんね、と、最初に謝られ、本題に。

結果から言うと…

救急ではないけれど、再手術が必要だと言うことでした。

次の手術では、生体弁ではなく、機械弁にした方が良いとの事。そうすれば、もう一生手術をする必要は無いから。


9年前に手術をしてくれたドクターCにも意見を求めてみるから、とのことです。

緊急に、ということでは無いけれども、手術をして機械弁を入れるのなら早い方が良いとの事。

手術までの間は、服用している薬の見直しをし、しばらくは薬で症状を抑えることができるかもしれないので、とりあえず診察予約を入れってきちんとお話をしましょう、との事でした。


霧がかかった朝の散歩風景


機械弁にすると、血栓ができやすくなり、脳梗塞のリスクが高まることや、ワーファリンなどの血液抗凝固剤を一生飲み続けなければいけないこと、と言ったマイナスの面もあります。となると、人生残り少ないのならまだしも、これからの人生で納豆や緑黄色野菜、グレープフルーツなど食べてはいけないものがたくさん増え、この若さで脳梗塞にでもなったりしたら、自分の力では生きていくこともできず、人の助けなしでは生きていけない人生はあまりにも辛すぎる、と、思ってしまうのです。


手術をするとなるといつするのか

日本でするのか、それともアメリカでするのか

アメリカで手術をするのなら、仕事を休職するのか辞めるのか

仕事を辞めるのなら、手術後に再就職するのか

日本でするのならどこでするのか

日本でするのなら、終わったらまたこちらに戻ってくるのか

弁置換は生体弁にするのか、機械弁にするのか


たくさんの選択肢の中から、一つ一つ慎重に選んでいかないといけない。

その一つ一つの選択が、人生の大きな分かれ道になっていく。

1つ間違えると人生の大きな失敗とつながる。


機械弁を選んで脳梗塞になり、右半身不随になって大変な思いをした母を見てきただけに、今回のたくさんの選択は、私の余生を大きく左右することになるでしょう。

何も今は決めることができないけれど、後悔しないためにも自分が納得できるようになるためにも自分で考えて決めようと思います。





2024年11月1日金曜日

ドクターからの電話

心エコーの結果を見てドクターからメッセージがあったんだけど…

I have been reviewing your echocardiogram, and it seems that the valve that was placed almost a decade ago has narrowed and could be causing your shortness of breath when you walk.

I'd like to see you again and re examine you (not urgently) to determine the next steps.

Happy to expand on the phone, if you provide me with a number I can call you at.


まだドクターから電話かかってきてません。

忘れられたかしら。苦笑😅



ハロウィン🎃の日の朝焼け。