2025年9月30日火曜日

再入院と抗凝固剤の服用開始 ー5ー

 つづき


もったいぶらせて申し訳ない。苦笑

そう、脚が浮腫んで金曜日のその日のうちに超音波検査を受けてください、という指示があって救急へ駆け込み、検査をしてもらったところ、なんと異常に浮腫んだ右脚の付け根のところには小さな血栓がいくつもできていたんです。

自分でもびっくりしました。だってそんなこと想像もしてなかったからです。

救急へ駆け込んで4時間以上が経っていて、ERのドクターから「今晩はここの病院で。」と言われ、「今晩だけなら」と思い、妹にはアーニーが待っている家に帰ってもらいました。

また入院か。Orz



ここの病院のドクターはすぐ経口抗凝固剤(血液をサラサラにするお薬)を開始するべきだ、というのに対して

心臓の手術をしてくださった執刀医は賛成ではない、と。


救急の病院の心臓医は、ならば動脈血管にフィルターを挿入することで血栓が肺や脳へ飛んでしまうのを阻止しないければ、と。

私は信頼している執刀医とこちらの病院とで話し合って、ベストな選択肢を決めてください、とお願いしました。

すると

「今から動脈にフィルターをいれる施術を行うので、手術室へ行きます」とのこと。

げ。いきなり??

と思ったので、

「執刀医と話し合って彼は納得したのですか?」

と尋ねると「はい」との返事が。


執刀医がオッケーを出したなら仕方がない。フィルターを入れてもらうことにしようか・・・と車いすを押されて手術室へ向かい、説明を受け、手術室で首の動脈を消毒してもらい、首以外はすべて覆われた状態で、あとは手術してくださるドクターが現れるのみ、という状態でしばらく待っていました。

すると、女性ドクターが現れ、わずかな隙間から、

「貴方の執刀医はフィルター挿入に賛成していないので、もう一度彼の意向を確認してくるので数分この状態で待っててね。」


と。

だから手術室へ向かう前に言うたし確認したやん!!

そしたら「はい」って言うたやん!!


数分後に彼女が戻ってきて、このフィルターを首の動脈に挿入するという施術はドタキャンとなりました。苦笑 (局所麻酔の予定だったので怖くてキャンセルになってちょっとほっとした!)


ということでこの日から毎日抗凝固剤「エリキュース」の服用開始となったのです。

毎日服用することでできてしまった血栓を時間をかけてくだいてくれる、とのことなので、三か月後に再度右脚の超音波検査です。

通常なら血液凝固剤と言えば「ワーファリン」。

母も機械弁を入れた心臓の手術後、このワーファリンを服用していました。

一生飲み続けないといけないうえ、ビタミンKの含まれた納豆やグレープフルーツ、緑黄色野菜はほとんど禁止。

そのうえ、頻繁に血液検査をして様子をモニターし、ワーファリンの服用量を調整しないといけない、という難しいお薬なんです。(エリキュースは20年ほどまえに開発された比較的新しいお薬で、その必要がないんです。)


そして母は血栓ができ、それが脳に飛んでしまって脳梗塞となり、他界するまで右半身不随の車いす生活となってしまいました。涙

これが私の「機械弁」を選ばず、「生体弁」を選んだ理由です。


今回の入院中も血液検査はもちろん、胸部、レントゲン撮影や超音波検査、などなど、たくさんの検査に加え、血液の比重が低いとのことで、今回もまた輸血をしていただきました。(whole blood transfusion)


二度目の病院で4泊入院して一応退院することができました。


入院食




入院中は日本からきてくれた妹ちゃん3が毎日お見舞いに来てくれ、
二人でげらげら笑いながら辛い入院生活も楽しく過ごせました♪



ところが。

また突然問題が発生してしまったのです。Orz


つづき

2025年9月26日金曜日

膨れ上がった右脚 ER ー 4 ー

 つづき


突然の退院が決まり、なんとかお見舞いに来てくれていたお友達が自宅まで送ってくれました。

退院時にはまだ自分で排尿できなかったため、管が通ったまま尿袋を手で提げての退院です。笑

しかも手術日に履いていったズボンは、この管があったので履いて帰ることができず、病院のガウンのままでの帰宅。(後ほど洗ってお返ししました)

帰宅した時にはすでに夜。

自宅で待機していたお友達がお粥と浅漬けを作ってくれました。

美味しかったのなんのって!!

病院での食事がなかなか飲み込めなかったことと、シンプルな日本食が食べたかったのです。


なんとかこの日は即効久しぶりのシャワーを浴び、図々しくもお友達に自分で洗えない髪を洗ってもらいました。今考えると申し訳なかったと反省。嫌だっただろうなぁ~。苦笑

翌日、退院時に送迎してくれた友達がアーニーを我が家に連れ帰ってきてくれました。

2週間アーニーを安心して預けられたのも彼女と彼女の旦那様のおかげです!アーニーの大好きなお友達と毎日一緒に居られて、犬友もでき、アーニーは相当楽しくて幸せな時間を過ごさせてもらったようで、私との久しぶりの再会というにも関わらず、私を飛び越して彼女のところへ。涙 Orz

でもそんなに喜ばしい滞在だったのなら、私も嬉しいです♪







そして。

アーニーの帰宅と同時に、日本から妹3も看護にやってきてくれました。

我が家は一気ににぎやかに。^^


もちろん退院できたものの私はまだ自分でアーニーの散歩ができる状態ではなく、お友達やドッグウォーカーさんを雇い、しばらくお願いしました。

「家に帰れば療養できる」と思っていたのもつかの間、電話はじゃんじゃんかかってくるし、溜まっていた郵便物には目を通さないといけないし、退院後のホームケアナースや自宅でのリハビリの手続きはしないといけないし、で大忙し。ゆっくり横になって休んでいられません。涙

すると・・・

家を中を少し歩いているだけなのに、両足が浮腫みだし、特に右足は3倍くらいの太さになってる!!!!




火曜日に退院し、金曜日になってもその脚の浮腫みは引く気配もなかったので、入院していた病院に念のため知らせておきました。

すると、

「今日中に予約をとって超音波検査をしてもらってください」

というではありませんか。


かたっぱしから電話をかけましたが、当日に予約を入れてもらうのは非常に難しく、なんとか月曜日の朝に予約を入れ、再び病院にその由を伝えました。

「だめ、今日中に診てもらって!予約が取れないのなら救急へ行ってください」

というのです。

仕方なしに、近い病院で一番空いているところをネットで調べ、家から10分くらいのところへ妹3に付き添ってもらって行ったのですが・・・・。

かなり待たされた後、中に通してもらい、右脚の超音波検査をしてもらったところ、想像もしてなかったことがこの膨れ上がった右脚に起っていたのです。


つづき


2025年9月19日金曜日

素晴らしい看護と退院 ー3-

 続き

ICUで輸血をし、低血圧で気絶して死にそうになり、排尿ができなくてもがき苦しみ、大量のお薬の副作用でインシュリンを肩にぶち込まれた、という短期間でいろんな経験をしました。

ペースメーカーを入れた後は、排尿問題と喉が痛くて一般食はまだ食べることができないという問題以外は順調に落ち着き始めたので一般病棟への移動となりました。

このICUにどれくらいいたのか、これまた全く記憶にありません。Orz

なんとか一般病棟に移ってからは、幸い天使の中の天使!というような看護師さんが親身になってお世話してくださりました。

ここでも排尿できず、トイレで自力で出そうとするものの一回あたりせいぜい150ccほど。お腹はパンパンで苦しいし、早く出したくても出てくれないのです。

そしてまた管を通して出そうとするのですが、やっぱり管が入らない。

黒人の看護師さんがチャレンジしてくれたのですが、前回チャレンジした看護師さん同様「こちらもがんばってるんだから我慢しなさい!」というようなことを言われ、私の苦しみなど到底理解してもらえないんだ、と怒りを覚えたほどです。

これは経験しないと本当に理解してもらえない苦しみです。


誤解を招かないように言っておきたいのですが、基本、ここの病院で手術&入院してよかった、と思えるのは・・・

執刀医はもちろんのこと、他のドクターも看護師さんたちも他の病院と比にならないほど素晴らしく、親切で優しく、看護のクオリティが高いのです。

今までアメリカのいろんな病院での入院経験がありますが、やっぱりここが飛びぬけてレベルが高いのです。

もちろんまれに上に記したような看護師さんが一人、二人、「厳しい人」というか、「自分本位な人」もいますが、それでもひどかったわけではありません。


一般病棟も個室で、ここに移ってからも固形物が喉を通らず、流動食しか食べることができませんでした。


入院食でこのハーブで味付けされたお魚がとても美味しかったのです。


ここの病棟では3泊し、血圧も心拍数も問題ないということで突然の退院となりました。

ここでは「やっと」との思いでほっとして退院できたのですが、この後問題が次々と起こることも知らず・・・。


続く



2025年9月12日金曜日

ICUに移動とペースメーカー ー2ー

続き

ICU OF THE ICUにどれくらい居たのか全く記憶に残っていませんが、怪しい私の記憶では2-3泊したように思います。そして通常のICUに移動となりました。

通常のICUとICU OF THE ICU とでは何が違うのか、というと・・・・

注意してモニター(監視)しないといけない数値などが表示された装置の数が違うのです。

通常のICUに移動となったということは、24時間監視していないといけない数値や術後の状態が安定したということになります。順調な回復ということですね。

ICUに移動となったのですが(移動のときの記憶も全く残っていません)、まだ鼻には酸素吸入の管が付いていて、何の目的で首に穴を開けられたのかは定かではありませんが、この喉に開いた穴にカテーテルが刺さっていて、そこから必要なお薬を入れられたと思います。

血が止まらかなったからなのか、部分輸血もしました。

この輸血のときに、看護師さんが「これは事前に摂っておいた自分の血液である」というようなことを言っていたような気がします。


この頃から声が裏返り、いつもの声が出せなくなりました。

手術中に喉が乾燥したからなのかな?と軽く考えていましたが、約一か月も声が戻らず、話をするのが一苦労でした。

そして少しずつ食べることもできるようになったのですが、喉が痛くて流動食しか食べれず、ごはんも鶏肉も飲み込むのが辛かったのです。


そして5年前から・・・・入院すると毎回必ずと言っていいほど自分で排尿できなくなるという問題がやはり今回も発生!(後ほど泌尿器科のドクターの説明によると、手術の際に使用する麻酔が原因とのこと。麻酔+オキシコドン(中毒性のある痛み止め)の組み合わせはさらに発生する確率が上がるとのこと)

今回も相当大変でした・・・

膀胱はぱんぱんで排尿したくても自分で出せないのです。

出ないからもれる心配もないのですが、もらしてはいけない、という感覚がぬぐいきれず、出したいのに出ない、でも漏らすこともできない・・・

今回もたくさんの看護師さんやドクターが管を通そうとしてチャレンジしてくださいましたが、なかなか入れることができず、その間の地獄のような辛さを入院中に2回も経験したのです。


ある日、友達がお見舞いにきてくれて、おしゃべりしていたときに、急に眠気が襲ってきました。「友達が来てくれているのだから眠ってはいけない・・・」と必死で耐えたのですが寝落ち(これも後にわかったのですが、寝落ちではありませんでした)してしまいました。

すぐに目を覚ましたと思うのですが、友達が帰っていった後、再びその「眠気」が襲ってくて椅子に座ったまま頭をもたげて眠ってしまい、目が覚めたら私の病室には大勢の看護師さんとドクターが。

「何事??」

と思った瞬間から眠いのです。

マネージャーのような方がひたすら何度も私の頬を叩き、「眠っちゃだめ!!」と言われたことを覚えています。

後に友人からの説明によると、私との記憶には若干差異がありました。

マネージャーから友人への説明によると、

友達が帰って行った後、看護師さんに付き添って部屋の中にあるおトイレへ行った際に、起立性の低血圧となり、点滴で水分補給しても血圧が元に戻らず、血圧が安定しなかったのでその点滴を中止し、すでに中止していた「エピネフリン(蘇生時に使用されるもの)」を少量持続点滴を再開したようです。

それから数日間血圧の数値を様子みてたのですが、やっぱり元の数値には自力で戻すことができず、数日後の8月1日(手術から1週間後)にペースメーカーを左胸(肩)に入れることとなったのです。

2週間の入院で手術3回です。 T_T

昨年の10月に手術が必要だ、と言われてから9か月近くもずっと手術できないでいたものですから、待っている間に心臓がどんどん弱ってしまったのです。

あんなク〇のような職場、さっさと辞めてさっさと手術しておけばよかった。

そうすればペースメーカーを入れないで済んだかもしれないのに。Orz



それも後の祭り。

今更そんなことを言っても仕方ありません。

もしものことを考えて、ペースメーカーを入れましょう、とドクターがギリギリまで考えて出した結果なのです。


もしペースメーカーを入れずに退院して運転中に血圧が急降下してこないだのように意識がなくなったりでもしたら大変ですものね。(一生外すことはできないとの説明がありました。)


直径4センチくらいでしょうか。皮膚の下に埋め込まれています。


正直違和感があって、1か月半経った今でも不快で仕方ありません。T_T

外してもらえないかなぁ・・・


続き