続き
ICU OF THE ICUにどれくらい居たのか全く記憶に残っていませんが、怪しい私の記憶では2-3泊したように思います。そして通常のICUに移動となりました。
通常のICUとICU OF THE ICU とでは何が違うのか、というと・・・・
注意してモニター(監視)しないといけない数値などが表示された装置の数が違うのです。
通常のICUに移動となったということは、24時間監視していないといけない数値や術後の状態が安定したということになります。順調な回復ということですね。
ICUに移動となったのですが(移動のときの記憶も全く残っていません)、まだ鼻には酸素吸入の管が付いていて、何の目的で首に穴を開けられたのかは定かではありませんが、この喉に開いた穴にカテーテルが刺さっていて、そこから必要なお薬を入れられたと思います。
血が止まらかなったからなのか、部分輸血もしました。
この輸血のときに、看護師さんが「これは事前に摂っておいた自分の血液である」というようなことを言っていたような気がします。
この頃から声が裏返り、いつもの声が出せなくなりました。
手術中に喉が乾燥したからなのかな?と軽く考えていましたが、約一か月も声が戻らず、話をするのが一苦労でした。
そして少しずつ食べることもできるようになったのですが、喉が痛くて流動食しか食べれず、ごはんも鶏肉も飲み込むのが辛かったのです。
そして5年前から・・・・入院すると毎回必ずと言っていいほど自分で排尿できなくなるという問題がやはり今回も発生!(後ほど泌尿器科のドクターの説明によると、手術の際に使用する麻酔が原因とのこと。麻酔+オキシコドン(中毒性のある痛み止め)の組み合わせはさらに発生する確率が上がるとのこと)
今回も相当大変でした・・・
膀胱はぱんぱんで排尿したくても自分で出せないのです。
出ないからもれる心配もないのですが、もらしてはいけない、という感覚がぬぐいきれず、出したいのに出ない、でも漏らすこともできない・・・
今回もたくさんの看護師さんやドクターが管を通そうとしてチャレンジしてくださいましたが、なかなか入れることができず、その間の地獄のような辛さを入院中に2回も経験したのです。
ある日、友達がお見舞いにきてくれて、おしゃべりしていたときに、急に眠気が襲ってきました。「友達が来てくれているのだから眠ってはいけない・・・」と必死で耐えたのですが寝落ち(これも後にわかったのですが、寝落ちではありませんでした)してしまいました。
すぐに目を覚ましたと思うのですが、友達が帰っていった後、再びその「眠気」が襲ってくて椅子に座ったまま頭をもたげて眠ってしまい、目が覚めたら私の病室には大勢の看護師さんとドクターが。
「何事??」
と思った瞬間から眠いのです。
マネージャーのような方がひたすら何度も私の頬を叩き、「眠っちゃだめ!!」と言われたことを覚えています。
後に友人からの説明によると、私との記憶には若干差異がありました。
マネージャーから友人への説明によると、
友達が帰って行った後、看護師さんに付き添って部屋の中にあるおトイレへ行った際に、起立性の低血圧となり、点滴で水分補給しても血圧が元に戻らず、血圧が安定しなかったのでその点滴を中止し、すでに中止していた「エピネフリン(蘇生時に使用されるもの)」を少量持続点滴を再開したようです。
それから数日間血圧の数値を様子みてたのですが、やっぱり元の数値には自力で戻すことができず、数日後の8月1日(手術から1週間後)にペースメーカーを左胸(肩)に入れることとなったのです。
2週間の入院で手術3回です。 T_T
昨年の10月に手術が必要だ、と言われてから9か月近くもずっと手術できないでいたものですから、待っている間に心臓がどんどん弱ってしまったのです。
あんなク〇のような職場、さっさと辞めてさっさと手術しておけばよかった。
そうすればペースメーカーを入れないで済んだかもしれないのに。Orz
それも後の祭り。
今更そんなことを言っても仕方ありません。
もしものことを考えて、ペースメーカーを入れましょう、とドクターがギリギリまで考えて出した結果なのです。
もしペースメーカーを入れずに退院して運転中に血圧が急降下してこないだのように意識がなくなったりでもしたら大変ですものね。(一生外すことはできないとの説明がありました。)
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| 直径4センチくらいでしょうか。皮膚の下に埋め込まれています。 |
正直違和感があって、1か月半経った今でも不快で仕方ありません。T_T
外してもらえないかなぁ・・・
続き


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