日曜日の夜、キレイになったアーニーと一緒にソファで映画を見ていた。
ストームがやってきて一軒家に大木が倒れて家の屋根が破壊されるシーンを見て、数か月前に大きなストームでフロリダに大きな災害が出たことを思い出した。
8年前に自分でデザインした新築の一軒家をビーチの傍に立て、夢を叶えて愛する家族と幸せに暮らしている、フロリダに住んでいる元カレのことが頭をよぎった。
彼はスマートな人なので、保険に入っていないはずがない、大丈夫に決まってる、と信じて23年も前の元カノの私が余計な心配をして連絡しないほうがいい、と思い連絡しなかった。
連絡はしなくても、グーグルマップで家が大丈夫なのかどうかくらいはチェックできるのでは?と思いコンタクトに保存したはずの住所を調べるが保存されていなかったことを知り、彼の名前でググってみた。
一番最初に見覚えのある彼の大きな写真とともに「Obituary」と出てきた。
「ウソでしょ?これは何かの間違えでしょ?」
手が震えた。
動悸で心臓の鼓動が激しくうずいた。
人生で最も心から愛した人が亡くなっていた。
しかも1年3か月も前に。
心から愛し、人生で唯一結婚したいと思えた大切な人である。
最後にやりとりしたのは彼が亡くなる半年前のメール。
「新しい彼ができた君に僕からはもう連絡しないけど、元気にしてるのかどうか心配だからときどき連絡してね。」
「わかった」
と約束して終わった。
ここ数年続いている年に一度のお互いの誕生日を祝うメール以外に連絡をすることはないだろう、と心のなかで思いながら。
翌年の1月、いつも届くお誕生日おめでとうのメールはこなかった。
きっと約束したのに連絡してこなかった、と怒ってるのかもしれない、と思っていた。
それでも4月になって彼の誕生日に例年のごとくおめでとうメールを送った。
はやり返事はなかった。
約束を破った私のことを怒っているか、それとも彼ができて幸せな私たちの関係を壊さないようにとレスペクトして連絡してこなかったのか。
そしてフロリダの大型台風でフロリダは全滅した。
私からは連絡しなかった。
そして今年の1月の誕生日にやはり彼から連絡はこなかった。
やっぱり約束をやぶったからか、別れたKさんと私の幸せをレスペクトしてくれてるからか。
映画を見て住所を調べようとしなかったら今もまだ彼の短い人生に終止符が打たれたことを知らずにいただろう。
今までは大好きな彼に会いたいと思っても会いにいけなかったし、行かなかった。
でも今は行きたくても、たとえ行っても、この世界のどこにも彼はもう存在しないのだ。
ショックと、驚きと、悲しみと、寂しさと、悔しさと、信じられない困惑で感情がぐちゃぐちゃになった。
自分の感情が理解できず、ただパニックで夜は眠れなかった。
翌日目が覚めれば「悪夢だった」となることをただ必死で願った。
朝目が覚めてもやっぱり悪夢でも冗談でもなかった。
必死でネットで情報を集めた。
Tragic loss と言っていたので「事故」ということだけはわかったけれど、いったいどんな事故だったのかはまったく情報を得られなかった。
車?歩いてて引かれたの?銃?物が上から落ちてきた?海?
病気の私をずっと心配してくれていた彼。健康できっと長生きすること間違いなしと疑う余地もなかった。
そんな私を心配してくれてた彼が私なんかよりずっと先に逝ってしまったのだ。しかも突然に。愛する奥様と溺愛しているお嬢さん二人を残して。
努力家でここまでやっと出世でき、人生すべて思い通りに夢を叶えてきてこれから、というときにだ。
亡くなった当初に知っていたらもっと辛かっただろうと思う。
でも1年以上も知らないでいた自分にも悔しい思いで腹が立つ。
3年前に念願の、20年ぶりの再会を果たすことができた。あれは神様がこうなることを知っていて最後にもう一度だけ私たちに会うチャンスをくださったのかもしれない。
運命って生まれる前から、生まれた時から決まっているんだろうか。
家から出たくないし、誰とも話をしたくないほど辛いけど、アーニーがいるので外に出ないわけにはいかない。
お天気のいい月曜日の祝日はアーニーをハイキングに連れていき、涙を流しながら歩いた。
考えれば考えるほど涙が止まらない。
事実を受け止めることも信じることもできない。
23年前のハワイ旅行 |
半年前に健康そのものだった友達を突然癌で失った。
その2年前には幼馴染をくも膜下出血で失った。
その前の年は大切な母を。
ここ数年だけでも大切な人がゆっくりと、でも確実に一人ずつこの世からいなくなっていく。
こんな辛い思いをあと何回乗り越えていかないといけないのだろうか。
それとも私がお先に失礼することになるのだろうか。
生きているからにはいつか死が訪れる。こうしていても一刻一秒、少しずつ死に近づいていっているわけだから、日々を大切に生きるしかない。月並みだけど、逝ってしまった人たちはえのふむちゃんの悲しむ姿を望んではいないと思うよ。
返信削除私もこの頃未来あふれる若い世代を見ながら、バトンが渡されるイメージみたいなのが心に浮かぶよ。私が今していることがこの子達の中で何かしらの形を残し、そうやって生は受け継がれていく。うまく表現できないけど、形のない思い?が手渡されてる。
えのふむちゃんの大切な人やお母様、共通の友人だった彼の思いもえのふむちゃんの中で生きている。大切にして生きていこうね。
病気のある私のような人間が突然しんでも家族も友達もある程度の心の準備みたいなものは無意識に少しくらいはできてると思うけど、健康な人が昨日まで元気にここにいたのに今日から突然いなくなるって、やっぱり受け入れが難しいよね。
削除もうそういう年齢層に突入したんだということも自覚しなといとね。
こないだの誕生日で誓ったように、いつ自分や家族、友達に何があっても後悔ないように毎日今日が最後の日だというくらいの思いで大切に生きていかないといけないね。