2025年12月2日火曜日

検査結果(ライム病)

 検査の結果が日曜日の夜遅くにでまして。


おかげ様で陰性でした!

ドクターによると、陰性と出ていてもライム病に感染していない、とは100%言い切れないので、抗生物質は引き続き飲むこと。そして6週間後に再検査すること、でした。



宮本さん?が発見したのかな?
きっと宮本さんもノーベル賞もらってるでしょうね。


すべて「陰性」。

6週間後に再検査です。

ちょっとホッっとしました。^^


謎の3日連続の朝食前の吐き気は、ドクターの説明によると、

朝は抗生物質を空腹時に服用していたから、とのことでした。

食後に服用すれば大丈夫でした。^^;



2025年11月30日日曜日

ぎゃーー!大変!!

 実は・・・

火曜日、なんか頭皮が変な感じ。ま、いいや。

水曜日の夜、シャワーを浴びて髪をブラッシングして、さ、寝よか。


と思ったその時。

頭皮が腫れてる?!

となって指で頭頂部を触ってみたら腫れてるーー!

ひょっとして・・ステロイド剤の大量服用のときにできる頭皮ニキビか???

ステロイドは減量してるからそんなはずはないのに、そんなことを思ってしまいました。


あれ、頭皮にかさぶた付いてる。

と思い、取ろうとしてもなかなか取れない。

爪で挟んでやっと取れたかと思ったら何かの虫!!

ぎゃーーーー!!!!!

羽が付いてる・・・

何虫???

何かの虫に頭皮さされた???


まてよ、なかなか取れなかったってことは、ひょっとして・・・??

げ。

ティック(マダニ)???

ぎょええーーー@@@@!!

すぐにティッシュに取り、24時間対応している健康保険会社のナースさんにお電話してアドバイスを求めました。

ナース「その虫を見ないと何とも言えないけど・・・」

えのふむ「ティックだったら怖いので、歯科の治療のための抗生物質があるので、それを飲んでもいいですか?」

ナース「心臓の術後だから心臓のドクターに確認してからにして」


オンコールのドクターに夜11時に電話しました。

歯科用の抗生物質はライム病に効果がないから、なんなら抗菌の塗り薬などがあればそれをとりあえず塗って」

と言われ、幸い家にあった抗菌塗り薬を塗りました。


噛まれてる・・涙


すぐにオンラインで翌日の朝のアポをとりました。(感謝祭でどこも開いていないのでUrgent Care (救急ではないけど、簡単な怪我や病気なら対応してくれる救急病院のようなもの)。

感謝祭というのに、ここの病院は幸いにも開いていたんです!よかったー。

アポを取ったので時間に行くと

「その健康保険は取り扱っていない」

と断られてしまいました。T_T T_T

そこからまた調べて近くのUrgent Careをかたっぱしから調べて向かいました。

木曜日なのでオンライン上では「オープン」と書いてあるのです。でも感謝祭だからその「オープン」はあてにできない!

結局1時間ほど車で6-7件回りましたがどこも開いてませんでした・・・Orz


あきらめて近くの救急へ。

幸い、感謝祭ということもあって空いていた!(通常なら8時間くらい待たされる)

事情を説明し、保存してたその「虫」を見せ、噛まれた頭皮をチェックしてもらいました。

ティックかどうかはわからないけど、念のために「ティック」だと想定して抗生物質を出してもらいました。

そして怖いので念のためライム病の血液検査もしていただきました。

結果は1週間くらいかかるとのこと。


10日間抗生物質を飲まないといけませんが、すぐに対応してもらえてよかった。

だけど・・・

刺されて40時間以内に対応しないといけなかったみたいで。

すでに手遅れかもしれません。涙


救急へ行ったときは、まだ頭痛とめまい、関節痛の症状くらいしかなくて比較的元気にしてたんですが、土曜日の朝も今日も朝食前にひどい吐き気。

吐き気なんて何十年ぶり???

胃酸があがってきて、おえーーって吐きそうになるのです。

これってライム病に感染してるってこと???


怖い。

怖い。

怖い。

とりあえず検査結果を待ちます。怖


アメリカは感謝祭

今週のアメリカは一年で最大の祝日「感謝祭」でした。

先週末からお仕事お休みして実家へ帰ってる人や旅行へ行っている人にとっては10年休。

今年は感謝祭前にアメリカ政府閉鎖が1か月以上も続いたこともあって空港はフライトのキャンセルや遅延が多々あり、アメリカ全土の空港で大混乱が起きていました。

それもあって空旅を避けて車で向かった人が例年以上に多く、かなり渋滞したことでしょう。←完全に他人事。笑

だって私は昔から基本、祝日はどこへも行かないようにしていて、旅行に行くときは祝日と夏休み、春休み、冬休みを避けているのです。

今年の感謝祭もしかり。

アーニーとふたりっきりで「ぼっち感謝祭」でした。笑

今年はアメリカの感謝祭メニューを作ることなく、ひたすら和食を作って食べました。

もうマッシュドポテトとか七面鳥とかパンプキンパイとは食べるより、炊き立てごはんと大好きなきんぴらごぼうがあれば幸せなのです♪

ということで、最近は時間だけはあるので料理しまくっているのですよ。^^;

毎日おかずの品は4-5品。





毎週のようにデザートを焼いたりもしてます。

保存料の入っている市販の食パンを買うこともやめ、自分で焼くことにしたのです。


毎週のようにパウンドケーキを焼いてます。
おかげ様で体重も順調に育っております♪


感謝祭なんてアーニーにはまったく関係ないので、普段入らせてあげることができない無人&無犬のドッグパークに入れてやりました。

他の犬の臭いや、久しぶりのドッグパークということもあって大喜び。お友達もおもちゃもないってのに、一人で「わーい!わーい!」と理由もなくひたすら走り続けてました。笑

そんな4連休も今日で終わり(私には連休もなにも関係ないですが。苦笑)。

明日からまたしばらく「普通」の生活に戻り、そしてまたクリスマスの祝日がやってくるので、アメリカ人は完全にホリデーモード。仕事にスイッチが入らないのではないでしょうか。


ちなみに、前回書いた手ごたえのあったカリフォルニアのお仕事。

金曜日が期限だってのですが、やはり連絡はありませんでした。Orz

かなり期待していたのでショックではありますが、日が経つにつれて「ダメかも。」という気持ちが増していたので心の覚悟は少しずつできていました。T_T

仕方ありません。

ご縁がなかっただけのことです。Orz


また引き続き職探しをがんばります!

でもね、さすがに応募100を超えるとモチベーションをキープできなくなってきて。

履歴書を送ったってどこもだめなんだから、と読みもせずにテキトーにバンバン送ってまして。苦笑

職探しの記録は残してるけど、まったくどんなところにいつ送ったのかは記憶に残りませんでして。笑


とそんなこんなで無職になって5か月。

先月ですでにEmergency Fundは消えたので、今月からの家のローンと生活費は老後のために貯めていた株を売りに出そうかと。しゃーないですよ。^^

早めのリタイアメントだ、と思って。

しかし毎日仕事しなくていいのは本当に天国です。

気が付いたときに掃除ができたり、普段できないところを掃除できたり、片づけたり。それに洗濯してゆったりした気持ちで乾いた洗濯を畳んだり、作ってみたいなーと気になっていたレシピに挑戦したり。





正直、このままリタイアしたいです。(日本へ永住帰国するならもう働かなくてもいいんですが、まだ帰国の決意ができないでいるのです。T_T)

あー、ストレスとプレッシャーの低いのんびり9-5時リモート仕事ないかなー。←そりゃ仕事みつからんわ。^^;


2025年11月24日月曜日

心臓手術の医療費

 7月25日に心臓の手術をして、約10日間の入院で無事(?)退院できて帰宅してしばらくしたら病院から請求書が届きました。

なんと7ドル(1000円?)。

保険でほぼすべてカバーされたんだー!とびっくりして喜びました。


数か月たった10月。

2024年に加入していた保険会社から請求書が2つ届きました。

請求金額は・・・なんと

一つは 154,034ドル (約24,152,666円)

もう一つは4、833ドル (約757,814円)




一つ目の154,034ドル (約24,152,666円)は、てっきり心臓の手術代だと思い込んでました。


ところが、よく見てみると、これは7月23日の手術前のプリオペ費用。

手術の説明を受け、心電図を受けただけなんですが。苦笑


もう一つの請求書4、833ドル (約757,814円)は今年2月4日の診察?費用らしいのですが、この時はカイザーに加入していたのでジョンズホプキンスの病院へは行っていません。

なんの請求書なんだろう?

しかし間違った保険会社に請求したってそりゃ保険会社は払いませんよ。^^;


ということでアメリカの恐ろしい医療費の報告でした。

*手術代と10日間の入院費は全額今の保険会社が支払ってくれたようです。よかったー。




2025年11月20日木曜日

あれから3か月

 えーっと大切な報告を忘れていました。💦

8月に救急でみつかった右脚の太ももにみつかった血栓。

3か月エリキュース(ワーファリンのようなもので、血液の抗凝固剤)を服用し、三か月後にその血栓が消えているか様子をみましょう、ということで退院させてもらえました。

あれから三か月。(はやいですね、あっという間に過ぎてました)

2週間前の日曜日。

超音波検査に行ってきました。

翌日には検査結果が出て、オンラインで自分でチェック。

すると


IMPRESSION:
 

1. No evidence of deep venous thrombosis in the visualized veins of the right lower extremity as described. Previously reported nonocclusive thrombus within the periphery of the right common femoral vein and greater saphenous vein is no longer discernible.

「血栓を確認することはできませんでした」

って。

よかったーーー!!

毎日欠かさず一日2回きちんと服用した甲斐があったというもの。

この血栓を発見できず、いや発見できてもお薬に効果が出て居なかったら・・・

血栓が肺に飛んで「肺血栓」

脳に飛んで「脳梗塞」

にでもなってたら命取りでした。💦


とりあえず血栓は消え、心拍数もアブレーションで平均値に戻り、胸の傷も少しずつきれいになってもう通常の生活に戻りました。

残念ながら新しい心臓のドクターによると、エリキュースは一生飲み続けないらしく・・・。涙


ステロイドの減量を目指しているので膝や腰、指関節や首などに痛みがありますが、それくらいです。^^

遠くから心配してくださった方々、どうもありがとうございました。


10年前の手術時と同じく、同じお友達がたくさんの日本食を買い込んで
お見舞い&差し入れに来てくれました。T_T
 こんなに甘やかされて大丈夫か、私?笑





2025年11月19日水曜日

いや、悪いことだけではなかった

 つづき

日曜日から毎日失業保険の問題でえらい目にあったけど、金曜日の朝にはすべて問題解決。

ぐったり疲れ果てていたけれど、悪いことだけではなかった!


金曜日の午後、90件以上応募した仕事の中から3度目の面接の話があり、午後3時からビデオ面接が入った!

なんと、今の私の希望条件をほぼ満たしている仕事。

仕事内容も、その事務所も、条件も〇。申し分なし。


そして・・・

もしこの仕事が決まった暁には、夢のカリフォルニア、そうサンディエゴに引っ越しが可能となりそうなのだ!

フルリモートワークなので別に引っ越さなくたっていいんだけど、「強いて言えばカリフォルニアのオレンジカウンティに住んでいるのならなお良し」という話。

そら引っ越しますよ、喜んで♪

ただ、カリフォルニアの収税(収入税や消費税)はアメリカの上位を占める資産家の州。

こんな私がそんな税金払って豊な生活ができるようになるとは言い難いけれど、贅沢はできなくたって毎日夢の土地で生活できるのだから、毎日がバケーションのようなもの。

まず気候が素晴らしい。

年中通して温暖なうえに低湿度。

冬のジャケット不要で年中半袖で過ごせるんですから、湿度と暑さ、寒さが苦手な私にとっては最高の気候。(アーニーは寒い冬と雪が大好きだけど。^^;)

募集必須条件は一応満たしているし、「できれば」の項目も一応クリア。


理想の仕事も憧れの土地での生活も同時に夢が叶うかもしれない。


返事は2週間後とのこと。

ダメだったときのことを考えるとショックが大きいので、期待しちゃいけない!とわかっているけれど、期待せずにはおれんぞ!!

どうかこのお仕事に決まりますように!!!!


これを読んでいる貴方!

どうぞポジティブ・エネルギーを送って~~~!!


最近ハマった「ネギ油」
苦手なお豆腐も止まらない美味しさ!

最近ハマったアイスクリーム。
「ブラウンバター・バーボントラッフル」



2025年11月18日火曜日

問題だらけの失業保険

7月3日に失業し、その日のうちに失業手当を申請しました。

7月分は一回だけ支払っていただき、たったの1週間分。

「術後のリカバリー中は『仕事ができない状態でいるから』という理由で、ドクターによる「3ヶ月は働けません」という証明書をもとに10月31日までは失業保険を受け取ることができませんでした。

なんだか納得いかない理由なのですが・・・

仕事を失い、仕事を失ったことで「Short and Long Term Disability」の保険も失い、収入を失い、でも多額の医療費を支払わないといけないのに、「働けない」から失業保険は支払われない、って逆なんじゃないの?

働けないからこそ失業保険を支払ってもらわなきゃいけなのでは?

働きたいのに働けない人にしか失業保険を受け取る資格はないの??

好んで心臓病になったわけではなく、望んで心臓の手術をしたわけでもなく、好きで3か月も働けなくなったわけでもないのに。

しかもこれだけの難病があって、Disability(障害)を認可されているにも関わらず、未だに「ディサビリティ補助は認可されていないし。


もちろん整形手術などで好んで手術をして働けないのなら仕方ないし納得はいくけれど。

なんだか理不尽のような気がします。



その3か月のリカバリー期間が終了し、11月2日から失業保険の受給資格を取り戻したわけなのですが。

職探しをしてますよーという報告を毎週日曜日に申告しないといけないんですが、11月2日から職探しした報告を11月9日の夜にオンラインで申告しようとしたら、

「貴方のアカウントは一時停止になっているので、以下の電話番号に電話して再開してもらってください」

というメッセージが。

何度トライしてもダメ。

停止にするときはこちらが何もしなくたってすぐに停止にされたっていうのに、再開のときは自分でしないといけないという。そしてクリック一回で自分で再開できるはずができない。

日曜日の夜にどんなにもがいたってらちが明かないのであきらめて月曜日にカスタマーセンターに電話することにしました。

月曜日の朝8時39分に電話。この日5回電話して一度だけ人と話すことができたのですが、「僕は貴方のアカウントを再開させることができません。」

と言われる始末。

自動音声に従って進み、多数の電話件数なので、折り返しむこうからかけなおしてくれる、というシステム。

自動音声で「アカウントを再開」を選んでいるにも関わらず、「僕はできません」か、自動音声が勝手に一方的に電話を切ってしまうかのどちらか。

担当の人になかなかたどり着けないのです。

翌日火曜日は祝日なので何もできず。

水曜日の朝、再チャレンジ。朝オープンと同時に電話。

8時7分にこの日一番の電話を開始。この日13回電話しました。

指定された電話番号は1つだけ。それ以外の手段はないのです。

オンラインでの再開も何度も試しました。

一人だけ失業保険の件で電話とメールをもらったことがあったので、その女性にも電話とメールでヘルプのお願いをしました。完全に無視。

まる一日これだけトライしても人と話せないうえ、挙句の果てには

「貴方のアカウントは失業保険を申請していません」

と自動音声で言われて向こうから一方的に電話を切られる始末。

もう連絡のとりようがないのです。

仕方ないので、オフィスを調べて実際に人に会ってなんとかしてもらおうと車を運転して行ったけれど、ここでもらちがあかず、態度の悪い男性にぶちぎれそうになりながらあきらめて帰ってきました。

電話もメールも対面でもダメ。

いったいどうすれば助けてもらえるのか。。。


翌日。

オープンと同時に朝8時に電話。

この日は合計6回電話しました。

やはり「失業保険の申請はされていません」と自動音声のあと電話を切られる、の繰り返し。

彼女に電話しました。ブロックされてる。

メールも返信なし。無視。

結局この日も誰とも話すことができず、誰からもヘルプも得られませんでした。


もう人と電話で話せる手段が残っていないので、「アカウントを再開する」を選ばす、まったく違う用件ということにして他のボタンを選び、なんとか電話のかけなおしをリクエスト。

11時から近所の友達の術後2週間の診察に車で送迎をしてあげる約束になっていたので、彼女を家まで届けて2時ごろ帰宅。

ようやく一回目の電話がかかってきました。

ところが、事情を説明したら、

「仕方ないですね。先週の分は諦めて今週の分から申告してください」というので、

「11月9日の日曜日オンラインで自分でアカウントを再開できなかったのは私のせいではありません。もうすでに3か月以上失業保険手当をもらっていないっていうのに、そちらのシステム上の問題を理由にこの週の分ももらえないとなるともう生活できません!」

相手にしてみればたかが1週間遅れただけで、と大したことではないかもしれないけれど、4か月まったく収入がなかった私にとってはこの1週間は大きな問題なのです。

とそんなこんなで会話しているときに彼女は間違って電話を切ってしまいました。

あり得ないし。

また「振り出しに戻る」、です。


またあの大変な電話番号に電話をし、違う選択肢を選び、かけなおしのリクエストをしてむこうからの電話を待ちました。

夕方、男性から電話があり同じことを再度説明しました。

幸い、日本大好きな人であったこともあって、先週分を申告できるようにリクエストを申請してあげますね、と。


翌日の金曜日。

11時から近所の友達の術後2週間の診察に車で送迎をしてあげる約束になっていたので、彼女を家まで届けて2時ごろ帰宅。

ようやく昨日申請したリクエストの件で電話がかかってきました。

質問事項に一つ一つ電話で答え、なんとか11月2日の週の分の申請は電話でしてもらうことができました。

アカウントも再開されました。


あーーーーー、疲れたーーーー!!!!


なんでこんなに困難なの?

今全米での失業率が記録的に上昇してるから?

失業によりそれでなくてもストレス溜まってるってのに、こんなにわかりにくい、つながりにくい、システムがきちんと作動していない、なんて問題だらけの行政ってどないよ?!怒

きーーーーー😤😤😤


2025年11月10日月曜日

プレドニゾロンの減量とベンリスタの離脱

今年の1月末に新しい仕事の関係でカイザーの健康保険に加入するまで診ていただいていた膠原病のドクターに久しぶりに診察していただきました。

と言っても9月の話ですが。苦笑 ^^;

カイザーの保険を提供していた職場を離れ、またAnthemに再加入できたので、以前診て頂いていたドクターによる診察が可能となったわけです。

彼女とは1月以来の診察でした。

心臓の手術をする、という話までしてそれ以来ご無沙汰だったわけです。

久しぶりの診察であれからどうなったのか・・・

という長い話をじっくり聞いてくれ、「大変だったね」と。

そのうえ、今申請中のDisability Benefit (障がい者助成?援助?)に関しても「今までに患者の経験から、申請には数年かかるし、弁護士を雇ったほうがいいよ。全面的にお手伝いするからなんでも言ってね。」とまで言ってくださいました。

ありがたい話です。

ドクターに直接連絡がいくわけですから、ドクターがきちんと説明してくれれば話は早いし、信憑性も〇。

残念ながらまだ初期段階のようで話は進んでいないようですが。

久しぶりの診察で、先日の心臓の手術を終えたこと、ペースメーカーは入ったこと、右足に血栓ができていること、などを伝え、効果のあるベンリスタを手術前から今も保留となっていることを伝え、再開したいという旨を伝えたところ、

「今ベンリスタを中止できているのなら、このまま中止することをゴールにしましょう。そしてできればプレドニゾロン(ステロイド剤)も完全に中止していきたいと思うので、少しずつ少量で減量し、最終的には0ミリを目指しましょう!」


という提案をしてくれました。

書くのも提案するのも簡単だけれど・・・

ベンリスタ(皮下注射)を開始した頃、今までの世界が変わったこと、別人のように元気になったこと、などを考えると「あー、またあのしんどい闘病生活に戻るのかもしれないなぁ」と不安がよぎりました。

会社へ行くと、もうすでに身体を起こしていることも仕事に集中するのも大変で。休み時間になると使っていない会議室も床で横になったり、車の中で仮眠をとったり。

でも今は仕事をしていないこともあってそこまで体調が悪いわけではないので、ひょっとしたらこのまま止められるかもしれない・・・。

ということでベンリスタはこのまま中止の方向で。

プレドニゾロン(ステロイド)も指示通りゆーっくりと少量ずつ減らしていくことになりました。


一日5ミリ服用していました。

今まではこれ以上減量するとすぐに体調悪化。今回はうまくいくかな・・・?


3週間かけてまず5ミリから4.5ミリに減量。

その3週間後にさらに0.5ミリ減量して4.5ミリから4ミリに。

その3週間後に4ミリから3.5ミリに。

そのまた3週間後に3.5ミリから3ミリに。

なんとか今のところ3ミリの減量に成功しています。

が、3.5ミリくらいから少しずつ手や指関節の痛みが出てきました。

耐えられないという痛さレベルではないので、減量を続けています。

3ミリから2.5ミリに減らしてよいものか。

一度失敗して症状が一気にぶり返すと、再び大量のステロイドを服用しないといけないのです。そう、振り出しに戻ってしますのです。しかも5ミリではなく、20ミリくらいまで増やさないといけません。

手や指、膝、腰などの関節痛、少しの肺痛以外は今のところ症状は出ていないようですが。

あくまでも慎重に、慎重に。そろーっとです。


「ちょっとバルコニーいってチェックしておいで」というと
言葉を理解してるアーニーは、
こんな風に外を歩いているご近所さんと犬を上からチェックしています。^^


**ステロイドを服用されている方、どうぞ自己判断せずにご自身のドクターと相談なさってから減量してくださいね。**

2025年11月7日金曜日

脳の老化

こんにちは。
ちょっと間が空いてしまいました。ごめんなさい Orz

一番ご心配していただいている体調は、おかげ様で快調です!^^
心拍数も3週間?前の施術後から安定しており、ずっと60台をキープしていて、動いたときにときどき130くらいまで一瞬上昇しますが、それ以外は安定しています。^^

術後に低下した血圧ですが、ペースメーカーが作動するほどの急低下はなく、あれ以来血圧は安定していました。

この1週間ほど前から少し血圧が上昇し始めています。
120くらいだったのですが、最近は130ー145ほどあります。

次回の診察でこの件については相談してみようと思います。





右脚の太ももにできてしまった血栓ですが・・・あれからちょうど3か月になります。
エリキュース(血栓ができないようにする薬)を三か月服用して右脚の超音波検査を再検査して血栓が消えていればお薬を中止できるとのことなので、昨日病院へ再検査にいってきたのですが・・・

お化粧して、服を着替えて、車を運転して、駐車代を払って受付窓口へ。
すると私の検査予約がキャンセルになっているとのこと。

なぬーーー???(怒)

どうやら先週リハビリの予約をキャンセルした際に、この超音波検査まで間違ってキャンセルしてしまっていたようです。Orz  あーあ。涙

なんでことをしてしまったんだ・・・号泣

最近ね、これ系のミスがとても多く、自分でもいったいどうしたものかと。
ただの「老化」なんでしょうか。
脳に異常でもあるんじゃないか?

先日の心臓の手術から一週間後に、執刀医の遠い病院まで車を運転して時間に間に合うようにでかけていったというのに。

受付で
「10月の21日ではなく、一か月後の11月の21日です」

と一か月間違えてしまうというミスをやらかしてしまいました。号泣

自分が悪いので自分に怒り心頭。(怒)

悔しいけどあきらめるしかありませんでした。



物忘れだけでなく、蓋を付け間違えたり、コーヒーにお湯を注ぐはずが、生ごみにお湯を注いだり、作ったばかりのものを生ごみとしてごみ箱に捨ててしまったり。

友達が昔、冷蔵庫から受話器が出てきてびっくりした!と言ってたのを笑ってたけど・・・
今は我がこと。

そこに壁があるから避けないと!と目と頭では認識できているのにぶつかったり。
今朝だけで二回もぶつけて青あざができてしまいました。T_T
エリキュースを服用しているので出血すると止まらないし、ぶつけるとすぐに青あざになってしまいます。

まだ54というのにこの始末。

今から若年性痴ほう症とか、アルツハイマーを心配しています。
一人暮らしだとなかなか自分で気づくことが難しく、日本の家族や友達、ご近所さんとマメにコミュニケーションをとるようにしないといけませんね。

左手で歯磨きをしたり、散歩の道を毎日変えたり、ゲームをしたりして脳を鍛えないとこのままどんどん機能が低下してしまいます。
「刺激」が大切ですね。

失業中ということで今は少し時間に余裕があるので、ウクレレを再開しました!
毎日10分でもいいからウクレレに触れる、という目標をかかげ、10分なら、ということで毎日の練習を続けています。

今まで動かなかった指が日に日に動くようになり、ちゃんと音楽になったときに何とも言えない感動と喜びが沸き上がり、毎日のやる気に繋がっているようです。^^

ウクレレに限らず、毎日10分でもなんでも続ければ一年で3650時間。日数にして152日です!

上達しないはずがない!!

家の片づけもなかなか思い通りに進みませんが、一日1つ処分するだけで、1年で365個のものが家の中から減っていくわけです。

小さな努力も続ければ大きな結果を生むということです。^^

小さなことなら続けられますよね。

今後の努力は、
毎日のスクワット、プランク、ダンベル(一つ2パウンド)です。
毎日7マイル(2万歩)歩いていても、ウォーキングだけではなかなか付いてくれない脚と腕の筋肉をもっと鍛えたいのです。

ちりも積もれば山となる!!がんばるわ!





2025年10月27日月曜日

新型コロナワクチン がん治療に効果?

みなさん、こんにちは。

ほぼ回復できた状態で毎日職探しに励むえのふむです。

かれこれ65社ほどに履歴書を送りましたが、いまだに面接までたどり着けないでいます。悲

働く気がまったくないのが履歴書から伝わってるのでしょうかね?!苦笑

この辺りはアメリカ政府関係のお仕事をしている方が多く、今年に入ってトランプ政権によりほとんどの方が失業し、コロナ以来の失業率らしく、みんな再就職しようとどこもかしこも一件のポジションにかなりの数の応募者で殺到している状態です。

専門分野で21年のキャリアがあってもアメリカで大学を出ていない私には非常に難しく、気長に探し続ければいいのか、一生見つからない仕事のためにこんな生活をいつまでも続けていいものか。

よくわかりませんが、時がくればご縁のあるところに拾ってもらえるか、それとも見切りをつけてさっさとこれからのことを建設的に考えようと思います。^^


昨日の夕方までの予定では、

今日から3泊4日のビーチ旅行に出かける予定でいましたが、残念ながら昨日の3:40分の時点でビーチは月曜日から金曜日まで雨予報と出ており、だんだん降水確率が高くなっていったので、ぎりぎりキャンセル可能期限4時の直前に日程を変更しました。

こちらはいいお天気でドライブ日和なのですが。^^;


先週から急に「冬」。

朝の散歩では手袋にマフラー、ニット帽です。

なのに。

日中では暑がりのアメリカ人は半袖&半パン&NO 靴下。あり得ないから。苦笑

ダウンを着ている人もいれば上半身裸でジョギングしている人もいる、というなんとも奇妙で不可解な今日この頃です。


服装はバラバラでもまだ「秋」です。笑


先週のアメリカのニュースで、新しいコロナワクチンには癌にも効果があることが発見された、と言っていました。


「ネイチャー」誌に掲載 新型コロナワクチン がん治療に効果?

https://youtu.be/7wp8wA2UE04?si=E8Je9Y4ZR7R4EJe4


よく聞いてみるとですね、なんと「免疫システム」をRE-PROGRAMしてくれるというではありませんか!!

ということは、突然免疫が過剰に働きだした膠原病などの自己免疫疾患にもいい効果をもたらしてくれるのでは?と思ったわけです。

注意:ただし、このニュースでは自己免疫疾患については一切触れていないので、あくまでの私の個人的な期待です。

もしこの癌にも効果があると確認された新コロナワクチンに自己免疫疾患にも効果があるとすれば・・・先日発見されたT細胞の働きだけでなく、近々膠原病などの自己免疫疾患に大きな改革が起こりそうですね!!期待したいところです。



2025年10月23日木曜日

骨皮筋子

 こんにちは。

こちらは毎日快晴で湿度は低く、まるで毎日カリフォルニアにいるようです♪

外に出ると本当に気持ちがいい!




今年の夏は例年に比べて涼しい日が多く、9月に入ってから暑さが少し戻ってきましたが、それも終わり、本格的な「秋」に突入。

通常ならこの一年で一番過ごしやすい季節「春」と「秋」がそれぞれ2週間くらいで終わってしまうのだけれど、今年の秋は長いです!嬉しい♪

週末の土曜日
いっぱい可愛がってもらってます♡

週末の日曜日
いっぱい遊んでもらってます♡


夏に入ると落ちる食欲も今年は問題なし。そのまま食欲の秋に入ったのでずっと食べてます。^^;

おかげ様で暴食しているせいか、3キロ減った体重もなんとか手術日当日と同じにまで回復しました。「骨皮筋子」から卒業です!笑

手術をしていただいた1つ目の入院中、もちろんほとんど食欲もなく、喉も痛かったので体重が減って当たり前、ですが、鏡で自分に姿を見る機会というのも全くなく、退院して初めて鏡の前に立ち、自分の顔を見てびっくりしたのなんのって!!

顔は頬がこけていて、目の下には真っ黒なクマ。

痩せてガリガリ、幽霊のように恐ろしい顔をしている自分にびっくりしました。

今まで着ていた洋服もだぼだぼ。「服を着ている」というよりは「服の中に入っている」って感じ。かなり貧相でした・・・苦笑

3つの入院生活を終え、失業してお金はなくても時間はたっぷりあるので、朝から卵を焼いたり、バタースクウォッシュのポタージュスープを作って食べたり、夕食には2-3品作って食べたり、ととても健康的な食生活を送っています。



今まで毎日仕事と時間に追われ、フルタイムの仕事とアーニーの世話で全く自分のことも家のことも後回しでした。

この2年半でできずにいた掃除や、片づけ、料理、など今リタイアメント生活のような失業生活を毎日満喫してます♪

仕事しなかったらこんなにも心にも時間にも余裕ができるんだーと。

汚れが気になったらその場でささっと掃除できるし、朝ごはん用にパンを焼いたり、と私が目指す「丁寧な暮らし」ができるんです。

あー、このままリタイヤしたいなぁー。(遠い目)



失業生活を満喫

失業してもうすぐ4か月。

リカバリー中は失業保険を支払ってもらえず、11月からは結構ヤバイです。💦

持っている株を売ってなんとか家のローンと生活費を作らないといけません。


9月末から失業手当も出ないっていうのに9月末から職探しを再開。

今数えたら51の雇用先に履歴書を送りましたが。電話面接までたどり着いたのは1つだけ。それもミネソタでリモートではなかったので却下。


この辺りはアメリカ政府に勤める方々がたくさん住んでおられるので、そのほとんどが解雇となったためにうちのカウンティの失業率は過去最高のようです。

アメリカ全土でも失業率がどんどん上昇し、高い学費を払ってきちんと大学を卒業したにも関わらず雇用先が見つからずにSNSで嘆いているビデオがたくさん投稿されています。

英語を完璧に話せるネイティブできちんと大学を出ているアメリカ人でさえ就職できないのだから、棺桶に片足突っ込んでいるこんな私が採用してもらえるはずがないか・・・笑


でも大丈夫。

この54年間、お金に困ってもいつもギリギリでなんとかなってきたんです。

いつも不思議だなーと思うのですが。「必ず」なんです。


持論ですが、「就職」と「結婚」は「縁」だと思っていて。

ご縁がある雇用先と出会えるまでの我慢です。地道にコツコツと履歴書を送り続けるしかありません!!がんばれ~、えのふむちゃん!

11月から失業保険が出る予定だし(スズメの涙)、いつでも働けるはずです。

言い換えれば11月1日までは手当が出ないので、それを逆手にとって来週アーニーと二人で海旅行を企画しています。月曜日から木曜日までの3泊4日のロードトリップ。

いつか就職できるのかどうかわからないけど、もし就職が決まったらまたしばらくお休みを取れないし。お金が無くたって今しかできないことをすることにしました!もちろんケチケチ旅行だけどね。苦笑

ということで引き続きアメリカ全土に履歴書を送ってまーす♪




2025年10月16日木曜日

アブレーション ー 7 ー

 報告が遅くなりました。

もし心配してくださった方がいらっしゃたら・・・ごめんなさい。Orz


火曜日、無事「アブレーション」の施術が終わりました!

施術自体は2時間くらいで終わったのですが、病院に入ってから帰ってもいいよ、と言われるまでが約8時間。

友達が「手術に専念して!」と朝8時半にアーニーを迎えにくてくれて、9時過ぎにMedical Transportation が迎えにきてくれ、予定より早く9時45分には到着。

受付で名前を記入してお待ちください

というので名前を書いてずっと待っていた。

ところが。

待っていた人はどんどん名前を呼ばれて中に入っていくのに、私の名前はなかなか呼ばれない。

すでに1時間が経過していたので再び受付に確認しに行くと・・・

受付の若い子2人、すっかり私のことを忘れていたらしい。怒

こういうの、アメリカではあるあるだけど、30年いても未だに慣れないわ~。


むかっとしながらも椅子に座って待っているとすぐに名前を呼ばれて中へ。

服用薬やアレルギー、最後食べ物を口にした時間、最後に水分をとった時間、などなどいろいろ聞かれ、麻酔を入れるために腕に二回針をぶち込まれて準備完了。

最近今までに以上に腕に針を刺されるときの痛みがひどくなってるんだけど、これって歳のせい?痩せたから?それとも脱水症状だから?

理由はわかりませんが、今まで我慢できてた痛みが最近は飛び上がるほど痛くて我慢できないのです。T_T

準備が終わっていざ手術室へ。

キャップをかぶり、背中にいろんな冷たーいパッチを貼ら、胸にもたくさんの心電図用パッチが貼られて、横になり、左腕に刺さっている針から麻酔が入った瞬間めちゃくちゃ酷い痛みで「痛い~~~~!!!!」と大きな声で叫ぶと「これが普通だから我慢してね」と言われた瞬間に意識がなくなりました。

目が覚めたらリカバリー室で一人の看護師さんが付きっ切りでお世話をしてくれていました。

喉は痛くない?と聞かれ、「痛い」と答えたら、シャーベットアイスを持ってきてくれました。

痛い喉には気持ちいい!

なんで痛いのか尋ねたところ、喉からチューブは入れられてたみたいです。もちろん記憶にないけど。苦笑

前回の心臓の手術のときは右脚の付け根からカテーテル。

今回は左足の付け根から管を通しました。

傷は前回が10センチほど。まだ治りません。><



今回は、昨夜シャワー前にバンドエイドをはがしてびっくり!たったの1センチほどなのです。てっきり今回もばっさり10センチくらい切られているものだと思い込んでいました。




なんとか問題もなく、スムーズにいったようです。

予定どおり6時すぎにお迎えが来て、6時半には帰宅。

しばらくすると友達がアーニーを連れて帰ってきてくれました。


当たりまえですが、「手術」となる普通は家族が付き添いで一緒に来られます。

今回もたくさんのご家族の方々が待合室で大切な家族の手術の無事を祈りながら待っておられました。

かれこれ「手術」や「施術」というものをここアメリカと日本で合計15回ほど経験しましたが、心臓の手術2回と婦人科の1回のときを除けば私は家族がいないのでほぼ一人で行って一人で帰ってくる、という可哀そうにみられている子です。←おばはんやけど。笑

それでも最初のころは不安で寂しい思いもしましたが、今ではすっかり慣れたもんです!

手術自体にも慣れてしまっているので、不安もほとんどなし。

失敗したら・・・と考えもしないし、「絶対に成功する」と思ってるからでしょう。

いや、そういう問題じゃないのかな?


アメリカ人の友達などに「また手術があってね」と話すとほとんどの友達や同僚が

「私なら絶対無理!MRI検査するのでも大変やのに。」

と言います。男性もしかり。

意外とみんな怖がりなんだなーと驚いたものです。


私だって慣れたくないし、できれば経験しないで済むのならしたくないのですが。苦笑

仕方ありません。


ということで、すでに術後48時間が経過しているのでもう運転もオッケー。

問題の安静時に130あった心拍数も術後は65まで下がっています!

心拍数を下げるリスクの高い「アミオドロン」も服用中止となりました。^^


ラッキーであれば一生不整脈の心配をしなくていいらしいので、これで心臓発作とか脳梗塞のリスクはぐっと下がり、安心して過ごせるようになるでしょう♪


たくさんの方々に心配していただき、ありがとうございました!




2025年10月12日日曜日

三度目の正直 心房粗動 ー 6 ー

 続き


2度目の入院からなんとか退院できて数日たった時の事。

8月12日に退院できて、その週の金曜日。(何故かいつも金曜日に問題発生!)


突然正常だった心拍数が130まで上がり、何をしていても最低が130。動いたりすると170くらいまで上がるのです。

翌日、週末に連絡しては申し訳ないと思ったのだけど、お詫びの気持ちを伝えたあと、執刀医にメッセージを送りました。

すると返事がすぐに返ってきて

「130を超えなければ様子見でいいと思います。」

と言われたのでそうすることにしました。


翌週の水曜日、家にフィジカルセラピーさんが来て下ったときに、いつものようにバイタルチェックをしていただきました。

するとやっぱり心拍数が130近くあるのです。

執刀医に言われたことを伝えましたが、彼女は上司に連絡して指示を煽ったところ、すぐに救急車を呼べ、というのです。💦

慌てた私は

「いえ、こんなに元気だし、必要だったら自分で救急へいきますので。」

と言ったのですが、PTさんはすぐに上司の指示どおり救急車を呼びました。きゃーー💦


そんな大げさな。

と焦りました。だってアメリカで救急車なんて呼ぶと請求額が平気で1000ドル超えるのですから。苦笑

ほんとに来ちゃったよ・・・消防隊員さんが。(←アメリカでは救急隊員は消防隊員なのです)

がっちり鍛えたバリバリ体格のいい方々が5人ほどこの狭い玄関に!

一番のボスは男らしい女性の方で、彼女の指示で早速血圧、心電図、などを測定してくださり、やはり心拍数は正常ではない、とのことで救急車に乗って救急へ・・・

と言われたのですが、午後にしないといけないことや眼科の診察予約が入っていたので帰っていただきました。

「必要になったらいつでもまた電話してちょうだい。すぐに飛んでくるから。」

と親切な言葉を残してぞろぞろ帰っていかれました。

お騒がせしてかたぢけない。Orz


午後は予定をこなし、ひと段落ついたので、救急に行って混んでいなかったら診てもらろう、と夕方から近所の友達にアーニーをお願いして前回とは違う病院へ向かいました。

中に入ると・・・

いや~混んでるのなんのって!!!

これじゃ朝方までかかるわと思い、一応受付で「どれくらいかかりますか?」と聞くと

「この様だからねぇ。早くても3時間はかかるわね。」

と言われたので

「あぁ、そうですか。心拍数が130近く、すでに5日以上続いているんですが・・・

3時間も待てないのでやっぱりいいです。帰ります」

と言って救急を出て、自分の車に乗り込み、エンジンをかけたところ、中から看護師さんが追いかけてくるではありませんか。


窓を開けると、

「心拍数が高いんですよね?!すぐに優先的に診てもえらえるようにしますので中に入ってください」

と。

おぉおお、ラッキーだ!

車をもとに戻して再び中に入ると、すぐに血圧を測定して必要事項を質問されてすぐに中に通してもらうことができました。

中に入ってからもいつも待ち時間が長いんだけど・・・

結果から言うとドクターの説明では、

「この心拍数が高いのは、心臓の開胸手術後は50%の確率で起こる「心房粗動」という不整脈が原因です。

今日はこのまま入院してください。」

えええ!!

また入院???

いややーーー帰りたいーーー ><

でもこのまま帰らせるのは危険だというので、素直に入院することにしました。

入院中も元気で、食欲もあり、さっそく心拍数を下げるお薬も開始しました。

理由は、脳梗塞や脳卒中、心臓発作がいつ起こってもおかしくない状態だそうで。^^;

今回も数泊入院して、無事退院できました。


心臓のお薬は、

心拍数を下げるお薬「アミオドロン」

血栓を予防するお薬「エリキュース」


それ以来、再入院にはなっていないのですが、

すでに入れていた不整脈の専門医(昨年診て頂いた男前のインド人ドクター)の診察へ行ったところ、

3つの病院での入院結果にすべて目を通し、

できることは「ATRIAL FLUTTER (心房粗動)」の治療には「Ablation (アブレーション)」という治療法があります。

これをやってしまえば、根治できるのでリスクの高いアミオドロンの服用を中止できるし、一生この不整脈で心配することがなくなります」

ということでこのアブレーションというものをすることになりました。


手術でできた痣がなかなか消えません。

全身にある痣。内出血でもなさそう。


施術日は来週火曜日10月14日に決まりました。

朝10時に病院到着。

施術は正午から開始です。




2025年10月7日火曜日

ノーベル生理学・医学賞-坂口教授受賞

 突然手術の話から話題が逸れてしまいますが、、、

日本では大きなニュースになっているのですでにご存じの方も多いとは思いますが、アメリカでは一切ニュースになっていないので(知らないのは私だけ?!)、ここで妹3が速報してくれた嬉しいニュースをシェアさせて頂きます!


なんと、阪大教授の日本人の坂口志文さんと米国の2研究者により、「制御性T細胞」というのを発見し、なんとノーベル生理学・医学賞を受賞されたとのこと。


リンク

https://mainichi.jp/articles/20251006/k00/00m/040/235000c


そのノーベル賞を受賞した内容はというと、

膠原病やアレルギーなどの「自己免疫疾患」などは、免疫が暴走して異物以外の正常な組織までも攻撃する病気であるのは皆さんもご存じ。

坂口教授らは、この暴走する免疫のみを抑え込む「制御性T細胞」を発見したとのこと。

T細胞は1995年に発見はされていたものの、その細胞の働きを解明した業績をたたえるということで今回三人の方がこのノーベル生理学・医学賞を受賞されたのです。

このT細胞の発見により、膠原病などの自己免疫疾患だけでなく、1型糖尿病や癌までも革新的な治療が期待されることになるらしい。

このサイトによると、すでに新しい治療薬の開発が進んでいると!!


ただ、今の米政権で多くのNIH(National Institute of Health)研究者が解雇されて今は人手不足。実際に新しい治療薬が許可されるまでにどれくらい時間がかかるのか・・・。

もっと早くに発見されていたら、両手も顎もここまで破壊されずに済んだかもしれないし、膠原病が原因との可能性があるこの心臓病も発症しないで済んだかもしれない。

いや、そんなことを言い出したらきりがない。

ということで、私が生きている間にこの細胞が発見されたこと、人生をこの研究に費やしてくださった三人の方々に心から感謝せずにはおれません。

さぁ、みなさん!これからの医療に希望をもって前向きな気持ちで乗り越えましょう!







2025年9月30日火曜日

再入院と抗凝固剤の服用開始 ー5ー

 つづき


もったいぶらせて申し訳ない。苦笑

そう、脚が浮腫んで金曜日のその日のうちに超音波検査を受けてください、という指示があって救急へ駆け込み、検査をしてもらったところ、なんと異常に浮腫んだ右脚の付け根のところには小さな血栓がいくつもできていたんです。

自分でもびっくりしました。だってそんなこと想像もしてなかったからです。

救急へ駆け込んで4時間以上が経っていて、ERのドクターから「今晩はここの病院で。」と言われ、「今晩だけなら」と思い、妹にはアーニーが待っている家に帰ってもらいました。

また入院か。Orz



ここの病院のドクターはすぐ経口抗凝固剤(血液をサラサラにするお薬)を開始するべきだ、というのに対して

心臓の手術をしてくださった執刀医は賛成ではない、と。


救急の病院の心臓医は、ならば動脈血管にフィルターを挿入することで血栓が肺や脳へ飛んでしまうのを阻止しないければ、と。

私は信頼している執刀医とこちらの病院とで話し合って、ベストな選択肢を決めてください、とお願いしました。

すると

「今から動脈にフィルターをいれる施術を行うので、手術室へ行きます」とのこと。

げ。いきなり??

と思ったので、

「執刀医と話し合って彼は納得したのですか?」

と尋ねると「はい」との返事が。


執刀医がオッケーを出したなら仕方がない。フィルターを入れてもらうことにしようか・・・と車いすを押されて手術室へ向かい、説明を受け、手術室で首の動脈を消毒してもらい、首以外はすべて覆われた状態で、あとは手術してくださるドクターが現れるのみ、という状態でしばらく待っていました。

すると、女性ドクターが現れ、わずかな隙間から、

「貴方の執刀医はフィルター挿入に賛成していないので、もう一度彼の意向を確認してくるので数分この状態で待っててね。」


と。

だから手術室へ向かう前に言うたし確認したやん!!

そしたら「はい」って言うたやん!!


数分後に彼女が戻ってきて、このフィルターを首の動脈に挿入するという施術はドタキャンとなりました。苦笑 (局所麻酔の予定だったので怖くてキャンセルになってちょっとほっとした!)


ということでこの日から毎日抗凝固剤「エリキュース」の服用開始となったのです。

毎日服用することでできてしまった血栓を時間をかけてくだいてくれる、とのことなので、三か月後に再度右脚の超音波検査です。

通常なら血液凝固剤と言えば「ワーファリン」。

母も機械弁を入れた心臓の手術後、このワーファリンを服用していました。

一生飲み続けないといけないうえ、ビタミンKの含まれた納豆やグレープフルーツ、緑黄色野菜はほとんど禁止。

そのうえ、頻繁に血液検査をして様子をモニターし、ワーファリンの服用量を調整しないといけない、という難しいお薬なんです。(エリキュースは20年ほどまえに開発された比較的新しいお薬で、その必要がないんです。)


そして母は血栓ができ、それが脳に飛んでしまって脳梗塞となり、他界するまで右半身不随の車いす生活となってしまいました。涙

これが私の「機械弁」を選ばず、「生体弁」を選んだ理由です。


今回の入院中も血液検査はもちろん、胸部、レントゲン撮影や超音波検査、などなど、たくさんの検査に加え、血液の比重が低いとのことで、今回もまた輸血をしていただきました。(whole blood transfusion)


二度目の病院で4泊入院して一応退院することができました。


入院食




入院中は日本からきてくれた妹ちゃん3が毎日お見舞いに来てくれ、
二人でげらげら笑いながら辛い入院生活も楽しく過ごせました♪



ところが。

また突然問題が発生してしまったのです。Orz


つづき

2025年9月26日金曜日

膨れ上がった右脚 ER ー 4 ー

 つづき


突然の退院が決まり、なんとかお見舞いに来てくれていたお友達が自宅まで送ってくれました。

退院時にはまだ自分で排尿できなかったため、管が通ったまま尿袋を手で提げての退院です。笑

しかも手術日に履いていったズボンは、この管があったので履いて帰ることができず、病院のガウンのままでの帰宅。(後ほど洗ってお返ししました)

帰宅した時にはすでに夜。

自宅で待機していたお友達がお粥と浅漬けを作ってくれました。

美味しかったのなんのって!!

病院での食事がなかなか飲み込めなかったことと、シンプルな日本食が食べたかったのです。


なんとかこの日は即効久しぶりのシャワーを浴び、図々しくもお友達に自分で洗えない髪を洗ってもらいました。今考えると申し訳なかったと反省。嫌だっただろうなぁ~。苦笑

翌日、退院時に送迎してくれた友達がアーニーを我が家に連れ帰ってきてくれました。

2週間アーニーを安心して預けられたのも彼女と彼女の旦那様のおかげです!アーニーの大好きなお友達と毎日一緒に居られて、犬友もでき、アーニーは相当楽しくて幸せな時間を過ごさせてもらったようで、私との久しぶりの再会というにも関わらず、私を飛び越して彼女のところへ。涙 Orz

でもそんなに喜ばしい滞在だったのなら、私も嬉しいです♪







そして。

アーニーの帰宅と同時に、日本から妹3も看護にやってきてくれました。

我が家は一気ににぎやかに。^^


もちろん退院できたものの私はまだ自分でアーニーの散歩ができる状態ではなく、お友達やドッグウォーカーさんを雇い、しばらくお願いしました。

「家に帰れば療養できる」と思っていたのもつかの間、電話はじゃんじゃんかかってくるし、溜まっていた郵便物には目を通さないといけないし、退院後のホームケアナースや自宅でのリハビリの手続きはしないといけないし、で大忙し。ゆっくり横になって休んでいられません。涙

すると・・・

家を中を少し歩いているだけなのに、両足が浮腫みだし、特に右足は3倍くらいの太さになってる!!!!




火曜日に退院し、金曜日になってもその脚の浮腫みは引く気配もなかったので、入院していた病院に念のため知らせておきました。

すると、

「今日中に予約をとって超音波検査をしてもらってください」

というではありませんか。


かたっぱしから電話をかけましたが、当日に予約を入れてもらうのは非常に難しく、なんとか月曜日の朝に予約を入れ、再び病院にその由を伝えました。

「だめ、今日中に診てもらって!予約が取れないのなら救急へ行ってください」

というのです。

仕方なしに、近い病院で一番空いているところをネットで調べ、家から10分くらいのところへ妹3に付き添ってもらって行ったのですが・・・・。

かなり待たされた後、中に通してもらい、右脚の超音波検査をしてもらったところ、想像もしてなかったことがこの膨れ上がった右脚に起っていたのです。


つづき


2025年9月19日金曜日

素晴らしい看護と退院 ー3-

 続き

ICUで輸血をし、低血圧で気絶して死にそうになり、排尿ができなくてもがき苦しみ、大量のお薬の副作用でインシュリンを肩にぶち込まれた、という短期間でいろんな経験をしました。

ペースメーカーを入れた後は、排尿問題と喉が痛くて一般食はまだ食べることができないという問題以外は順調に落ち着き始めたので一般病棟への移動となりました。

このICUにどれくらいいたのか、これまた全く記憶にありません。Orz

なんとか一般病棟に移ってからは、幸い天使の中の天使!というような看護師さんが親身になってお世話してくださりました。

ここでも排尿できず、トイレで自力で出そうとするものの一回あたりせいぜい150ccほど。お腹はパンパンで苦しいし、早く出したくても出てくれないのです。

そしてまた管を通して出そうとするのですが、やっぱり管が入らない。

黒人の看護師さんがチャレンジしてくれたのですが、前回チャレンジした看護師さん同様「こちらもがんばってるんだから我慢しなさい!」というようなことを言われ、私の苦しみなど到底理解してもらえないんだ、と怒りを覚えたほどです。

これは経験しないと本当に理解してもらえない苦しみです。


誤解を招かないように言っておきたいのですが、基本、ここの病院で手術&入院してよかった、と思えるのは・・・

執刀医はもちろんのこと、他のドクターも看護師さんたちも他の病院と比にならないほど素晴らしく、親切で優しく、看護のクオリティが高いのです。

今までアメリカのいろんな病院での入院経験がありますが、やっぱりここが飛びぬけてレベルが高いのです。

もちろんまれに上に記したような看護師さんが一人、二人、「厳しい人」というか、「自分本位な人」もいますが、それでもひどかったわけではありません。


一般病棟も個室で、ここに移ってからも固形物が喉を通らず、流動食しか食べることができませんでした。


入院食でこのハーブで味付けされたお魚がとても美味しかったのです。


ここの病棟では3泊し、血圧も心拍数も問題ないということで突然の退院となりました。

ここでは「やっと」との思いでほっとして退院できたのですが、この後問題が次々と起こることも知らず・・・。


続く



2025年9月12日金曜日

ICUに移動とペースメーカー ー2ー

続き

ICU OF THE ICUにどれくらい居たのか全く記憶に残っていませんが、怪しい私の記憶では2-3泊したように思います。そして通常のICUに移動となりました。

通常のICUとICU OF THE ICU とでは何が違うのか、というと・・・・

注意してモニター(監視)しないといけない数値などが表示された装置の数が違うのです。

通常のICUに移動となったということは、24時間監視していないといけない数値や術後の状態が安定したということになります。順調な回復ということですね。

ICUに移動となったのですが(移動のときの記憶も全く残っていません)、まだ鼻には酸素吸入の管が付いていて、何の目的で首に穴を開けられたのかは定かではありませんが、この喉に開いた穴にカテーテルが刺さっていて、そこから必要なお薬を入れられたと思います。

血が止まらかなったからなのか、部分輸血もしました。

この輸血のときに、看護師さんが「これは事前に摂っておいた自分の血液である」というようなことを言っていたような気がします。


この頃から声が裏返り、いつもの声が出せなくなりました。

手術中に喉が乾燥したからなのかな?と軽く考えていましたが、約一か月も声が戻らず、話をするのが一苦労でした。

そして少しずつ食べることもできるようになったのですが、喉が痛くて流動食しか食べれず、ごはんも鶏肉も飲み込むのが辛かったのです。


そして5年前から・・・・入院すると毎回必ずと言っていいほど自分で排尿できなくなるという問題がやはり今回も発生!(後ほど泌尿器科のドクターの説明によると、手術の際に使用する麻酔が原因とのこと。麻酔+オキシコドン(中毒性のある痛み止め)の組み合わせはさらに発生する確率が上がるとのこと)

今回も相当大変でした・・・

膀胱はぱんぱんで排尿したくても自分で出せないのです。

出ないからもれる心配もないのですが、もらしてはいけない、という感覚がぬぐいきれず、出したいのに出ない、でも漏らすこともできない・・・

今回もたくさんの看護師さんやドクターが管を通そうとしてチャレンジしてくださいましたが、なかなか入れることができず、その間の地獄のような辛さを入院中に2回も経験したのです。


ある日、友達がお見舞いにきてくれて、おしゃべりしていたときに、急に眠気が襲ってきました。「友達が来てくれているのだから眠ってはいけない・・・」と必死で耐えたのですが寝落ち(これも後にわかったのですが、寝落ちではありませんでした)してしまいました。

すぐに目を覚ましたと思うのですが、友達が帰っていった後、再びその「眠気」が襲ってくて椅子に座ったまま頭をもたげて眠ってしまい、目が覚めたら私の病室には大勢の看護師さんとドクターが。

「何事??」

と思った瞬間から眠いのです。

マネージャーのような方がひたすら何度も私の頬を叩き、「眠っちゃだめ!!」と言われたことを覚えています。

後に友人からの説明によると、私との記憶には若干差異がありました。

マネージャーから友人への説明によると、

友達が帰って行った後、看護師さんに付き添って部屋の中にあるおトイレへ行った際に、起立性の低血圧となり、点滴で水分補給しても血圧が元に戻らず、血圧が安定しなかったのでその点滴を中止し、すでに中止していた「エピネフリン(蘇生時に使用されるもの)」を少量持続点滴を再開したようです。

それから数日間血圧の数値を様子みてたのですが、やっぱり元の数値には自力で戻すことができず、数日後の8月1日(手術から1週間後)にペースメーカーを左胸(肩)に入れることとなったのです。

2週間の入院で手術3回です。 T_T

昨年の10月に手術が必要だ、と言われてから9か月近くもずっと手術できないでいたものですから、待っている間に心臓がどんどん弱ってしまったのです。

あんなク〇のような職場、さっさと辞めてさっさと手術しておけばよかった。

そうすればペースメーカーを入れないで済んだかもしれないのに。Orz



それも後の祭り。

今更そんなことを言っても仕方ありません。

もしものことを考えて、ペースメーカーを入れましょう、とドクターがギリギリまで考えて出した結果なのです。


もしペースメーカーを入れずに退院して運転中に血圧が急降下してこないだのように意識がなくなったりでもしたら大変ですものね。(一生外すことはできないとの説明がありました。)


直径4センチくらいでしょうか。皮膚の下に埋め込まれています。


正直違和感があって、1か月半経った今でも不快で仕方ありません。T_T

外してもらえないかなぁ・・・


続き


2025年8月28日木曜日

手術を振り返って -1-

 こんにちは。

記憶が消える前にここにできるだけ残しておきたいと思っているのですが、すでに今回の手術こと、術後の入院中のこと、退院時のこと、退院後のこと、そして再入院のこと、などなど記憶がどんどん消えてしまってます。Orz


出産経験はありませんが、出産を経験された方々がよくおっしゃるように、

「一人目の子のときはよく覚えているけど、二人目からのことはよく覚えてないわぁ」


とよく似てるような気がするのですが、10年前の手術のことはよく記憶に残っているのですが、今回の2回目の手術のことは1回目と重なってしまってほとんど記憶に残っていないのです。

時間が経てばどんどん今ある記憶も消えていくと思うので、消えてしまう前に少しでも記録としてここに残していきたいなと思っています。


手術当日は前回同様かなり早くに起床。

ただ今回は前夜に執刀医から電話があり、

「明日、5時までに来院するように言われたと思うけど、7時までに入ってくれたらいいからね」

と言われたので、前回より少し時間に余裕ができました。

4時に起床

5時過ぎに家を出発。

前夜から来てくれた友達Mちゃんの運転でお友達Sちゃんの家に立ち寄り、アーニーをドロップ。(入院中はお友達Sちゃん宅にアーニーのお世話をお願いすることができました)

アーニーにしばらく会えない寂しさを感じる間などなく、急いで病院へ。

病院に到着してからチェックイン。

手術開始時間が10時50分となっていました。


待合室で友達と待ち、名前を呼ばれて中に入り....


もうここから記憶がありません。T_T


前回の手術のときは手術室に向かう時に友達Mちゃんとハグをした記憶などが残っているのですが....

今回は手術室へ迎う前の待機室での記憶さえも残っていないのです。(服を脱いでガウンに着替えたことはなんとなく覚えているような。)

もちろん手術室も覚えていません。Orz


目が覚めたのは翌日。

目が覚めたとき、今回はひどく喉が渇いていた、ということはなかったのですが、前回と全く同じ部屋?と思うほどICUの部屋が似ていました。

とにかく全身浮腫んでいて、看護師さんに「目を開けて!」と言われても目を開けることができないほど顔も浮腫んでいて、目を開けれない代わりにに口を開けていたことを覚えています。(ふざけてたんじゃないからねっ!笑)

傍にはMちゃんが付いていてくれて、最初の食事としてゼリーやジュース、といったのど越しのいいものを少しずつ食べさせてくれてとても美味しかったのを覚えています。

全身は大量の管に繋がれていて、私のベッドの周りはいろんな装置だらけ。

24/7でモニターしないといけないものがたくさんあったのでしょう。


自分のベッドから向かって右側にソファがあり、友達Mちゃんが寝泊まりしながら介護してくれてました。


この「ICU OF THE ICU(ICUの中でもトップのICU」に居たときに、若い男性の看護師さんマリオさんがたくさんお話してくれていたことも記憶に残っています。笑

(どんな話をしていたのかは覚えていませんが。)

前回の手術ではこのICU OF THE ICU に20時間ほどしかおらず、すぐに通常のICUに移動となったのですが、今回はここに数日いたような気がします。気がしただけかな?!


手術に付き添ってくれたお友達Mちゃんの話によると

手術は12時頃に始まっただろうと思われ、終わったのは夜の8時頃だったらしい。(所要時間約8時間)

執刀医が術後に彼女に説明してくれたのは、


10年前と同じサイズの弁(今回は牛弁)を用意して取り付けたものの大きすぎて取り外さないといけないことに。そして小さい弁を再び取り付けるのに更に40分かかったとのことでした。


執刀医がMちゃんに見せてくれた今回取り外した豚の弁。10年間がんばってくれてありがとう!


無事弁置換手術が終わったのですが、血液が止まらなかったため胸を閉じることができず、その夜はそのままの状態でいったん中止となり、翌朝7時から手術再開。胸を閉じることができたそうです。

その胸を閉じたその日に「歩いてください」と言われて歩かされたような記憶が残っているのですが、いくらなんでもそんな「拷問」みたいなこと、ある???笑


そして通常のICUに移動となり、モニターしないといけない装置が少し減りました。


つづく



2025年8月26日火曜日

利尿剤を卒業

こんにちは。

更新がまったく追いついていなくて、ご心配をおかけしているみなさんはきっとやきもきされていることと思います。

近況報告が遅くなり申し訳ありません。Orz


先週の月曜日はペースメーカーの専門医による診察。

火曜日は地元での新しい心臓のドクターによる診察。


どちらのドクターもいい感じで丁寧に診察してくださいました。

ただ、火曜日の心臓のドクターはペースメーカーのドクターと連携できないところのドクターということもあって、ペースメーカーのドクターから同じところの心臓のドクターにしてもらった方が連携とりやすい、とのことで来月にはまた新しい心臓のドクターに会ってこれからのチェックアップはそのドクターにお任せすることになりそうです。

15年近く主治医として、心臓のドクターとして診てもらっていたドクターCは、残念ながら私の新しい健康保険を取り扱っていないとのことで今後診てもらうことができなくなってしまいました。(メディケイドはちょっとややこしくて、メディケイドを取得した後に健康保険会社を選ぶことができ、今まで診てもらってた健康保険会社を選んだので、ひょっとしたら9月以降再びドクターCに診てもらうことができるかもしれませんが。)

火曜日の診察では特にこれ、といった内容もなく、ただ私が質問したいことを質問し、答えていただいただけの診察となりました。

手術も無事終わり、脚の浮腫みもなくなったので、一年半飲み続けていた「レイシックス」という利尿剤はもう毎日服用しなくていいとのこと。脚が浮腫んできたら服用する、という程度でいいことになりました。

これは大きな進歩です。

利尿剤の服用により心臓への負担を減らし、身体、特に脚の浮腫みを軽減して体外に余分な水分を尿として排出する、という役目があるのですが、その分腎臓への負担も大きいのです。

毎日20ミリ飲み続けていたのですが、今回の術後に水分だけで12キロも増えたので、とにかく入院中は大量の利尿剤投与でみるみるうちに体重は元に戻っていきました。

腎臓が心配です。

その利尿剤を卒業できたのですから大きな進歩というわけです。^^

まだまだ毎日の服用薬は大量にありますが、今のところこれだけのお薬を服用しています。


エリクイス ELIQUIS (血液抗擬固剤)

アスピリン

パントプラゾール PANTOPRAZOLE (胃炎を抑えるもの)

オキシコドン OXYCODONE (強力痛み止め。胸の傷や胸部の痛みのために服用)

ガバペンティン GABAPENTINE (神経痛の痛み止め。肺痛のために服用)

タイレノール TYLENOLE (痛み止め。頭痛のために服用)

スピロノアクトン SPIRONOLACTONE (利尿剤のようなもの)

プレドニゾン PREDNIZONE (ステロイド剤)

イムラン IMURAN  (免疫抑制剤)

レボシロキシン LEVOTHYROXINE (ホルモン剤)

ベンリスタ (膠原病のお薬。皮下注射)ー 保留

アクトネル (骨粗しょう症のお薬)ー 保留


あと、サプリメントとして

鉄分

ビタミンC

カルシウム

を摂取しています。

術後ずっとカリウム、カルシウム、鉄分が不足していて、カリウムはなんとか基準値内に戻ったのですが、カルシウムと鉄分がかなり少なく、サプリで毎日補っています。






2025年8月18日月曜日

順調な回復

報告が遅れました。

先週の火曜日に退院してからは、順調に回復しています。

私は54歳と言う年齢の割には驚くほどスピードリカバリーで、日曜日の昨日は友達と妹と3人でショッピングモールへ出かけました。車椅子が必要かな?と少し心配していましたが、、、

なんてことない!

休憩なしで2時間歩くことができました。
明日から始まるセラピー(リハビリ)、本当に必要あるのかな?笑

今朝は、ペースメーカーの専門医と初めてお会いしてきました。傷のほうもきれいに塞がり、ペースメーカーのデータをチェックしていただいたところ、手術後直後は少しペースメーカーが作動していたようですが、それ以降は自分の心臓がきちんと働いてくれているとの事。
嬉しいニュースです。




かといって、ペースメーカーを取り外すことはできないようですが、半年に1度は診察を受け、ペースメーカーのデータをチェックしていただけるようです。

明日は心臓のドクターと初診察。
退院してからの状態をチェックしていただきます。

もっとゆっくりしたいところですが、結構忙しいくしています。

妹ちゃんは水曜日に帰国しますが、アーニーの世話をしてくれる方々も近所にたくさんいて、ご近所さんや友達が家へ来てはアーニーの散歩に行って下さっています。本当に助かります。

いざと言う時、たくさんの方々がヘルプの手を差し伸べてくださり、本当に感謝です。

ブログを読んでくださっている皆様方にも、たくさんご心配をおかけし、遠くから応援してくださっていること、心から御礼申し上げます。


2025年8月13日水曜日

坑凝固剤の開始

火曜日の昨日無事退院できました。

たくさんの利尿剤で、ようやく体内に溜まっていた水分が全部抜けました。

ゾウ脚もまた元通りに。





手術をしてくれたジョンホプキンスのドクターと2つ目の入院先のドクターとの意見が分かれ、どうなるかと思いましたが、希望通り手術医の意見を尊重してくださり、血管にフィルターを入れてできてしまった血栓が肺や脳に飛ばないようにすると言う予定は、手術台の上でスタンバイしてる状態で直前キャンセルとなりました。
その代わりに、Elquisという血液の坑凝固剤を数ヶ月服用することで、できてしまった血栓を砕いて、今後もできないようにする、と言う方針になりました。

母が生前服用していた坑凝固剤はワーファリンが主流で、この薬は服用すると、ビタミンKが入っている食物は禁止。

納豆やグレープフルーツ、緑黄野菜のほとんどに入っているので、食べれる食材が限られていました。
あの時代にElquisがあったなら、母は脳梗塞になることなく今も存在していたかもしれません。

Elquisは薬の服用量調整は不要なので定期的な血液検査は不要。食べたいものを食べることができる、といった大きなメリットがあり、今の時代に生まれて感謝です。

今回も人工弁ではなく、生体弁を入れたのでこのお薬も数ヶ月のみの服用で、数ヶ月すれば服用しなくていいらしいのです。

とりあえず数ヶ月後に、できてしまった血栓が消えているかどうかまた超音波検査が必要です。

どうぞ消えていますように。

病院食はしばらく見たくないかな。苦笑



これからまた午後からの診察に行ってきます!

2025年8月10日日曜日

再入院

たくさんの方にご心配いただいているのに報告が遅くなってすみません。

携帯持っているのも結構疲れるし、字を読むのも疲れるので、なかなか更新できませんでした。

結局あの後、排尿ができないと苦しみ、仕方ないので尿道にカテーテルを入れるとなっても入れることができる人が限られていて、退院して泌尿器科で診てもらうまではカテーテルを入れたまま退院しましょうと言うことになり、火曜日に退院しました。(拷問?)

友達に迎えに来てもらい、自宅まで送ってもらい、無事帰宅し、久しぶりの我が家で、大きく一息ついたのもつかの間。

すぐに両脚がむくみ出し、はち切れんばかりに浮腫んで痛みを感じ始めたので、入院先の病院に報告したところ、今日中に足の超音波検査を受けてくださいとの事。



片っ端から電話をしたものの、その日の予約は難しく、仕方なしに救急へ駆け込みました

すると右脚の静脈カテーテルが入っていたところの足の付け根あたりに、血栓がいくつかできていることが分かりました。

もちろん即入院です。


もしERに来なかったら、、、

その血栓が血流に乗って、肺や脳に飛び肺血栓や脳梗塞を起こしていたかもしれません。

何とか命拾いしました。


そこからは歩くこと、一切禁止。

脚の超音波検査はもちろん、胸部レントゲンや血液検査、腹部の超音波検査、などなど、たくさんの検査を繰り返し、月曜日の朝、手術医とここのドクターと話し合って、この血栓をどうするのか決まるそうです。


術後に12キロ増えた体重(全部水分)もようやく元に戻り、肺に溜まっていた水分も減り、ゾウ🐘脚もやっと元に戻ってきました。




輸血もしました。




不整脈がなければ明日退院できるかな?!

早くお家に帰りたいです。涙🥲


現状報告でした。