2024年12月29日日曜日

お祝い

ちょっと聞いてーーー!!

降格決定!!!

いえええええい!!!👏👏👏👏👏👏


2023年6月に転職して今の職をゲット。
半年した経っていないというのに、2024年1月1日付でオフィスマネージャーに昇格。

経験もない新しいポジション。
何がなんだかわからないまま、でも勉強中だと思って残業代が出るわけでもないのにただひたすら平日は9時ごろまで働き、毎週ではなかったけれど週末も働いた。
(別に上司に言われたわけではなく、自分の意志で。)

それでもその日のうちにやっておかないといけない「最低限度」の仕事しか片づけられないほどの量。
「未読メール」をほぼ毎日450ほど残してパソコンの電源を切る。

へとへとだった。
週末は身体を休めること以外はできなかった。

この1年間半は友達と会うことも、電話で話したりすることもほとんどなく、そんな時間があれば1分でも横になりたかったからだ。自分のための時間も体力も残っていなかった。

そう、今年一年は勉強と思って自分を仕事に捧げた。
仕事に慣れて要領もわかり、年々楽になるだろう、と期待を持っていたので。

もうだめだ、こんなことしてたら身体を壊し(もう壊れてるけど)、取返しのつかないことになってしまう。。。

妹たちにも何度も何度も「早く辞め!!」「辞めれないのなら、せめて前のポジションに戻してもらい!」と何度も言われていた。

前のポジションに戻してもらうなんてできない。
このポジションだから教えてもらったことや、みんなのお給料も知ってしまっているし。
このポジションを続けていけないのなら転職するしかない。
転職も難しい。

とずっとひたすら目の前の仕事を一つ一つ片づけながら今日まできた。

金曜日の午後、上司と1対1でミーティングがあった。

そこでこの一年間はどうだったか、と聞かれ、

「経験のない仕事をただひたすら無我夢中で片づけるだけで必死だった」

と答えた。


あれこれ2時間近くの話し合いになり、結局彼の言いたかったことというのは、

僕の秘書として手助けになっていなかった。
僕の伝えたことをみんなに正確に伝わっていなかった。
毎日オフィスに来るべきだ。(上司自身が週に3日出勤でいい、と言って契約に入れたのに。)

という3つが主な理由で

「来年はもう少し小さいグループのマネージに集中してもらい、オフィスマネージャーというポジションを降りてもらっていいか?」

と聞かれたので

こちらからお願いしなくても思い通りの希望話が向こうから提案されたわけだ。

内心心の中で「うひゃー!!これで今までのunreasonableでunnecesarryなストレスから解放されて自分のプライベートライフを充実させられる~~!!」と万歳して喜んだが、その喜びの表情は見せてはならない、と思い残念でショックを受けたかのような顔をして

「はい、それで結構です。お給料もどうぞ前の額に減らしていただいて結構です。」と

答えた。

お前にはプライドというものがないのかーー!とみんなから思われるかもしれない。

そう。私にはそんなくだらないプライドなどないのだ。
一生懸命必死でわからになりに頑張ったし、いろいろ提案もしたけど、、、

上司は気に入っている人間が何か提案すると自分の意見と反するものでもきちんと聞く耳を持つし、取り入れる。
気に入らない人間なら最初から否定する。聞く耳さえ持たない。信用しない。


私がこの上司の下ではもうやっていけない、と思った大きな理由の3つは

1,レスペクトされていない(これは仕方ない。失敗もしたし、要領もわからなかったからレスペクトされないのは仕方ないと思っている)

2,マネージャーになってわかったことの中に、各スタッフのボーナス額や福利厚生などに大きな差があり、不平等に扱っていること。(不平等が一番許せない!!)

3,忙しすぎて忘れていることが多く、自分の言ったことを覚えていないことが多く、毎回「貴方が〇〇と言いましたよね?」とか「貴方がそう決めましたよね?」ということもできず、3回のうち1回言えたらいいほうだった。

先週の火曜日にあったミーティングが最悪であり最後の決定的瞬間となり、彼は「そんなこと言ってない!」の一点張りで(毎回他者も聞いているので証人多数あり)、その結果彼は私に切れ、これらの彼の忘れてしまったことを私の「ミスコミュニケーションが原因だ」ということにして終わらせた。

降格の理由も「伝えたことを正確に伝えていない」という理由になっていた。

もう彼のいい加減な伝言ゲームによるストレスから少しは解放されることになるだろうけれど、それでも小さなグループのマネージをしないといけないので、この悲惨な伝言ゲームはこれからもまだ続く。

送別会で照り焼きを。



なのでさっさと仕事探しを始め、リタイアすることも真剣に考えている。

一年前の今頃、昇格が決まって「おめでとーー!」と祝ってもらい、
一年後の今もまた降格が決まってこれまた「おめでとーー!」と祝ってもらっている。


こんな「老害じじい」(日本の子供たちはこう呼ぶらしい。笑)といつまでも関わっていたらだ毒だ!!
心臓が悪化したのものこのブラック企業とこのくそ爺のせいではないか?!と思ってしまうのである。笑

2024年12月22日日曜日

弁置換手術には3つの選択肢

 先週の月曜日、朝一番で心臓の手術医に会ってきました。

手術以来なので9年ぶりの再会です。


うわさによると近々リタイアされる予定とのこと。

どうぞ手術が終わるまで待っていただけますように!


久しぶりの再会でも私のことも前回の私の手術のことも覚えていてくださいました。

最初にどんな症状が出ているのかいろいろと質問され、動悸や息切れ、脚の浮腫み、服用を開始したお薬などを伝えました。

ドクターの話を短くすると、

  • 健康な人の5倍のリスクと言われた脳梗塞のリスクは高いわけではない
  • 心臓の手術は急いで、というわけではないけれど、早いほうがいい。
  • 手術で置換する弁の種類は機械弁でなくてもいい、また豚の弁を入れることもできるけれど、前回豚の弁を使い、まだ若いということもあって9年で劣化してしまったので、次回は牛の弁を勧める。機械弁が嫌なのは理解できるし、今回機械弁でないといけないということはない。
  • 10年前の当時は、大動脈弁であれば弁置換手術は開胸せずにカテーテルで弁と取り換える技術が可能であったが、僧帽弁の弁置換はカテーテルでは無理であっけれど、10年たった今では僧帽弁でさえもカテーテルで弁置換が可能となった。それを今回試せるかもしれない。(僧帽弁閉鎖不全症の新しいカテーテル弁置換手術
  • カテーテルによる弁置換の他に、前回と同様に開胸手術で弁を取り換える方法、そして胸の傷を最小限に抑える右胸の下を少し切って弁を取り換える手術、と3つの選択肢がある。
  • カテーテルによる弁置換手術は、牛の弁しか使うことができない。
  • カテーテルによる弁置換手術は何度も繰り返しできる。
  • 歳をとればとるほど弁の劣化が遅くなる
  • 右胸の下を切る手術も開胸手術も回復には同じだけの時間が要する(約3か月)
  • カテーテルの場合は訳2日で仕事に復帰できる。
などなど前回のドクターによる説明とはかなり異なる「最新」の情報を教えていただいた。



ベストな選択は・・・

カテーテルによる弁置換手術。
問題は、私は身体が小さいのでカテーテルを通す大動脈に牛の弁が心臓まで到達できるだけの太さがあるのかどうか、ということ。

主治医は他の主治医と相談してみることに。
私はCTスキャン検査を行い、大動脈の太さを調べることに。(1月末)

もし弁が通過できるだけの十分の太さがあればカテーテルで弁置換を行うことができるということになる。

棚から牡丹餅?的な驚きと喜びだ!!!
まだ決まったわけではないけれど、とても嬉しい。期待せずにはいられない。



大好きな彼の節目

こんばんは。

日曜日の夜です。

明日からまた大忙しの毎日が始まるかと思うと日曜日は朝からちょっと憂鬱。

夜はもっと憂鬱。


先々週の金曜日は会社のホリデーパーティ。

先週の月曜日は朝8時から主治医との診察。9年ぶりの再会です。

毎日バタバタで過ぎていき、金曜日の夜は一部の同僚たちと送別会。そう、歳が明けてから二人三脚でスクラム組んで二人で頑張って大好きな韓国人の同僚が辞めることになったのです。






とてもショックでした。

もちろん私だけでなく、みんなも。

男前で品があり、頭もよくて仕事もでき、何より優しくて性格がめちゃくちゃいい!なのに「能ある鷹は爪を隠す」、で何も自慢しないし相手が誰であろうとも見下したりしない。家族思いの優しい独身男子。

「天は二物を与えず」って言うけど・・・・めっちゃ与えてるし。苦笑

こんな申し分のない人、いる???

そんな彼の素質を認め、とっても気に入ってた上司が一番ショックを受けていたのかもしれないですが。

彼はもっともっと実力を発揮できいるところへ行った方がいい。

悲しいし寂しいけれど、彼のこれからの栄光をたたえ、明るく笑顔送り出したいな、と思ってます。

最後の出勤日は金曜日。

水曜日はクリスマスなので休日。

たったの4日だけど、火曜日と木曜日は出勤しないから彼と向い合せのデスクで一緒に仕事できるのはたったの二日だけ。T_T

辞めちゃったらもう会うこともないんだろうなぁ・・・・。

2024年12月15日日曜日

ホリデーパーティで酔っ払い

木曜日はうちのコミュニティのホリデーパーティ。

ご近所のクリスティと一緒に参加。

残念ながら今年のお料理はしょぼかった。Orz







 

金曜日は夕方から会社のホリデーパーティ。

昔勤めてた会社は毎年ホリデーパーティがあったので、ドレスをいくつか持っていたんだけど、前の会社に転職してからはホリデーパーティというものが一切なくって、ドレスたちは12年近くクローゼットで眠ってました。

これこそほんまの「箪笥の肥やし」。笑


昨年の夏に転職したらまたホリデーパーティが復活。

何年も着ていなかったドレスを出してきて着てみたら・・・


12年前に比べて体重はかなり減ったのに何故か窮屈。

きっと体系が変わったんでしょうねぇ。苦笑


せめて旦那や子供が家に居れば背中のジッパーを上げてもらえるんだけど、一人暮らしだとそんなことさえも大変!!(賢いとはいえ、犬のアーニーにジッパーを上げてもらうわけにもいかないし。笑)

ジッパーで思い出したわ。

日頃の湿布も同様。

一人暮らしだと、腰痛や首、背中が痛いときに湿布やサロンパスを貼ろうとしても自分で貼ることができない。T_T

こいう時だけは「パートナーが欲しい」と思う。


ということでなんとかジッパーを自分であげてパーティ会場へ。

普段会社にこないリモートの人や、アトランタから車を10時間運転して出席した人などなど普段オフィスでお目にかかれない同僚と会って挨拶をしたりお話をしたりすることができて楽しかった。

昔、若ーい頃はよくお酒も飲んでいたけれど、膠原病を発病してからは薬漬けになったことをきっかけにほとんどお酒は飲まなくなった。

なのに。

ついつい調子にのってワインを飲み過ぎてしまった。苦笑

お料理もとっても美味しかった。




お肉は苦手な私はお魚(シーバス)




お土産もいただいた。

無事帰宅してすぐに着替え、アーニーを外に連れ出し、部屋に戻ったら睡魔の襲われてそのままソファで爆睡。

夜中1時半に目が覚め。歯を磨いてお化粧を落としてパジャマに着替えてベッドに入ってもお酒のせいで心臓がまだバクバクしていて眠れない。Orz

幸い。上等ワインだったので翌日は二日酔いになることなく気分すっきり。


酔っぱらうまで飲んだのっていつ以来だっただろうか。

お酒の勢いでちょっとしゃべりすぎてしまったけれど、楽しいお酒だったからよしとしよう♪

もうこんなこともそうないのだから。


2024年12月10日火曜日

体脂肪

きちんと食べてるつもりですが、最近また体脂肪が、、、。

12%あった体脂肪が最近は一桁。6%を記録。

体脂肪計がこわれてんかな?!

自分で自分の太腿にぶち刺すベンリスタの注射💉が痛く感じるのはそのせいか?


今年も咲いてくれました‼️


2024年12月8日日曜日

いつ何があっても後悔しない人生を。

 寒い日が続いていたけど、今日はなんと華氏60度超え!

めっちゃ暖かくて日中は暑いほどだった。

この日を狙っていたので朝から洗濯。外干し。よー乾いたわ。^^


この週末はいつもの週末に比べて病気による倦怠感は少しマシだったような気がするけど、疲労感が酷く、体力がない。日曜日の夕方から再び肺通痛が再燃。

何もないところを歩いているだけで息切れ。

呼吸がゆっくり悪化してきているのを痛感する。



上司が韓国から戻り、火曜日に「ちょっとお時間いただいてもよろしいですか?」と呼び出し、手術のことを早めに話しておいた。

理解していただけた。

職場の都合をうかがったところ、1-2月は忙しくなるので3月以降がいいとのこと。

希望通りになるかどうかわからないけれど、3月ごろに手術できれば、と考えている。

いや、こんな息苦しさで3月まで待てるのか?!


先週は右半分の顔面がピリピリしたり、右目の瞼に痛みがあり、と右半分の顔面に症状があったので「脳梗塞か?」と心の準備をしたけれど、無事何も起こらなかった。

油断はできない。

首の痛みや右肩の肩こりもひどいので、ちょっと注意しながら様子見。


数日前の中山美穂さんの突然死のニュースを知ってショックを受けた。

年齢的にも1つしか変わらない同世代。

あんなにも美しく、誰からも愛された彼女が自宅のお風呂場で孤独死、とは・・・。

人間、いつ何があるか本当にわからない。

毎朝目が覚めることさえ当たり前ではないのだ、といつも自分に言い聞かせている。

さんまさんの名言「生きてるだけで丸儲け」。

毎日仕事でヘロヘロ&くたくた。愚痴ばっかりこぼしているけれど、毎日目が覚めて歩けて仕事ができること、これらの当たり前のことにもっと感謝しながら1日1日を大切に生きていかないと、と改めて反省する。

何気なくぼーっと過ごしてたらもったいないな。

いつそんな日がやってきても後悔のない人生を。

2024年12月1日日曜日

もう師走

今日から12月。師走です。

数ヶ月前に年が明けたかと思ったらもう12月。
今年最後の月です。

そしてあと1ヵ月で今年も終わり。

歳を取るにつれて、1年1年が早く感じると言うけれど、本当に早い。
100年人生として、残り約半生が残っているけれど、年々早く感じるようになるとするなら、今までの50年と比べるとこれからの50年はきっと25年位に感じるのかな。しらんけど。笑

この調子で行くとあっという間に人生が終わっちゃうから、今まで以上に1日1日を大切に過ごしていかないといけないね。

となると….ますます嫌なことやしたくないことをしながら残りの人生を過ごしていたら、もったいない!もったいない!

はよ、仕事やめてしたいことだけしながら好きな人たちだけに囲まれて生きていこか。笑

我慢や忍耐、辛抱なんて言葉はこれからの人生の辞書から消しちゃおう!


久しぶりにビールを購入。オレンジ風味のIPA。


ところで、先週は感謝祭が木曜日だったので、仕事はたったの3日だけ。
週に5日働くと、週末土曜日と日曜日の両日ともぐったり。余力も気力も全く残ってないけれど、先週は3日しか働いていないうえ、週末が4日間あったので、慢性化した体の疲れや精神的疲労がかなり回復!!

ずっと気になっているけれど、なかなかできなかったゲストルームの片付けや、キッチンパントリーの整理整頓、冬用掛け布団の準備、などなど少しずつ4日間かけて終わらせることができた。

もちろん、この4日間は毎日アーニーと遊んだりしてたくさんかまってやることができ、満足、満足♪

近所にAmazonFreshがオープン予定!


リタイヤしたら、こんなふうに毎日自分のペースでストレスなくアーニーとのんびり過ごせるんだろうなーと今から楽しみにしている。






2024年11月29日金曜日

その後の体調

みなさんこんにちは。

アメリカでは感謝祭が終わり、これからはクリスマスに向かって商社戦争が始まり、それが終わったらまた平凡な生活に戻り平和が戻ってきます。

感謝祭直前のLos Angels の渋滞がすんごいことになっていて、空からの写真を見て口が開いてしまいました。

毎年思うんだけど・・・

アメリカ人って感謝祭やクリスマスを毎年「苦痛」に感じていないんだろか?!

結婚してたときは毎年うんざりしてました。

この時期になるといつも以上に喧嘩が増え、我が家だけかと思ったら、なんと統計でも出ているらしく、このホリデーシーズンは夫婦喧嘩が増え、離婚が増えるらしいです。苦笑

そりゃそうよねー、と納得できちゃう。^^;


感謝祭は簡単なオーブン料理。

さて。

先週火曜日に心臓の診察があり、

水曜日にある部下のことでストレスマックスになり、

木曜日から体調が急降下し、

金曜日から血圧を下げるお薬を半分に減らし、

月曜日の朝一で膠原病医による診察があり、

「膠原病をコントロールするための免疫抑制剤を服用しているがために外部から入ってくるウイルスなどから身体を守ることができず、おそらく今回の症状はウィルス性のインフルエンザか風邪でしょう。今出ている症状が消えて楽になるまで膠原病のお薬「ベンリスタ」と「イムラン」を一時中止してください」

ということになり、金曜日の夜からイムラン服用一時中止。

月曜日の診察の時点ですでに少しだけ症状が和らいできたような感覚があったけれど、そこからどんどん症状が緩和し、頭痛も背中上部の激痛も胸の痛みもかなり治まってくれました!

痛み止めも2回服用しただけで済み、抗生物質も処方される前になんとかのりきれました。

ただ息切れだけは心臓が原因なのでどうにもなりませんが。^^;


12月16日は手術医による診察。

ここでどんなお話になるかによって詳細を決めていこうと思います。

(今の時点ではアメリカで手術を受ける予定でいますが、場合によっては日本で受けることもまだ考慮に入れていて、来週の上司との話の進み具合によっては手術前に退職--->リタイア、というプランも考慮に入れています)


2024年11月24日日曜日

突然、症状が悪化

火曜日に日を間違ってジョンズホプキンス病院まで心臓のドクターに会ってきました。

往復3時間もかけて行ったのに、超音波検査の後に電話で言われたことと同じことを言われただけでした。

その時、少し胸部に痛みがあり、伝えました。

少し咳が出始めていたので風邪でしょう、ということでした。

その翌日にとんでもない部下のことで強烈なストレスを感じることがありました。

その翌日の木曜日、一気に症状が出はじめ体調が悪化。

金曜日には家の中を歩くだけで息切れ。

肺痛

背中の上部に激痛

頭痛

発熱(わきの下で測定すると100.5度。おでこでは98.5度)

倦怠感

喉の痛み

耳の下の痛み

などなど。


金曜日、心臓のドクターにメールで報告したところ、ナースさんから電話があり、詳しく症状を説明してください、とのことなので説明した。

昔は低かった血圧が心臓か加齢が原因でここ数年は高血圧に。

今年の春、心臓の症状が出てきてから血圧を下げるお薬を服用していました。

効きすぎているのか、先週の耳鼻科での診察でも火曜日の診察でも血圧が低かったこともあり、血圧を下げるお薬を一日一回だけに、と減らすことになりました。


ナースさんに「オムロンの血圧測定器を購入して毎日測定してください」と言われたので金曜日の夜にオーダーして翌朝7時に配達。


アーニーの散歩も命がけでこなし、出社予定だったけれど、リモートに変えてもらいました。

土曜日はさらに悪化。

日曜日の今日も全くマシになっていなくて。


土曜日も今日もアーニーの散歩以外の時間はひたすらソファで爆睡しました。

それでも週末にやっておかないといけない洗濯や買い物があるので、何か痛み止めを、、と思ったけれど服用できる痛み止めがありません。

以前はナプレキセンという処方された痛み止めを服用していましたが、ドクター数人からこれは服用していけない、止めなさい、と言われていて、新しい膠原病医からもすぐに止めるように言われ、代役としてガバペンティン(てんかんのお薬だけど、神経痛にも効果あり)を処方され、前回の診察から毎日服用していました。

それ以来、膠原病の症状はマシになりましたが、今回のこの胸痛や背中痛にはまったく効果がないようで。

タイレノールもないのでとりあえず1回分だけ残ってた咳と喉のお薬を服用。

頭痛にはまったく効果なかったけど、頭を上げたときの背中上部の激痛が少し和らいだような。

明日仕事行かないといけないのに痛み止めがないととてもじゃないけど行けやしない。

ということで買ってきました。

熱や痛みに効果あり、と書いてあった風邪薬を購入。

昨夜から枕一つでは背中は痛く、呼吸も苦しくなってきたので今夜から枕二つにして上半身を起こして寝るようにします。


そういえば、、、、

10年前の心臓の手術をするまでは肺がずっと痛くて何度も救急に駆け込んだなぁ。

毎日ベッドで横になって寝ることができず、いろんな枕をいくつも使って寝ていたなぁ。

思い出しました。


心臓の手術をしてベッドで横になって眠れた初めての夜、嬉しかったし、熟睡できたなぁ、と忘れかけていたことを思い出しました。


狭い家の中を歩くだけで呼吸が乱れるこんな状態で何か月も待つことはできません。

来年には手術を、と火曜日の診察でいわれましたが早くしてしまったほうがよさそうです。

2024年11月20日水曜日

ざけんな。💢

昨日、早起きをしての散歩を済ませ、朝1番の仕事も終わらせてから急いで車に乗ってジョンホプキンス病院での診察に行ってきました。

10月末の心臓の超音波検査を済ませ、Dr. からメールで

「結果については電話で説明します。」と言われ、

電話がかかってきたときに、

「今すぐと言うわけではないけれど、手術が必要な状態なので、また診察に来てください。その際に、薬の見直しなど話し合いましょう。次回の手術では、生体弁ではなく、機械弁を入れたほうがいいと思います。」

と言われた。

診察予約を取って会いに来いと言うので、昨日行ってきたのだけれど、、、、

1日間違えてた。
11/20の11時だったー!!

渋滞の中1時間半かけて準備して到着したのに、着いてから気づくなんて。涙

せっかく遠くから来てくれたのだからということで診てもらえることになった。

ところが。

診察室でのドクターの説明は、前回電話で話したことと同じ内容のみ。

は???

それについては、もう電話で聞きましたが。

と、思ったが、何も言わなかった。

たった15分間の間に電話ですでに話したことをもう一度繰り返すために、私は仕事を休んで、往復3時間かけて車の運転をし、駐車場6ドル払い、co pay 診察代30ドルを払い、後日請求書が300ドルぐらい届き、さらに健康保険会社に700ドルくらい支払わさせる。

これってどうなん???

詐欺じゃね??

挙句の果てには、

電話で話した同じことを診察時で繰り返し、
「詳しい事は10年前に手術してくれた。ドクターに会って話をしてこい。」

と言う。

だったら最初っから電話でそう言えよっ!!!💢

一回会って15分話すたびに10万近くかかってんだぞ!!!💢💢💢と言ってやりたい。

ムカついて仕方ないわ。


2024年11月17日日曜日

重い腰をあげて。

 あっという間に日曜日の夜。

はぁー、当たり前だけど明日は月曜日。ふりだしに戻る~。T_T


この週末もいいお天気だったけど、余力も気力も全くなくて。Orz


土曜日は、朝と昼と夕方のアーニーの散歩以外はひたすらソファで休んだ。

朝7時半ごろに朝の散歩に出かけ、1時間くらい歩いて戻ってまた12時ごろに車に乗って遠い公園までお散歩に。途中薬局に寄ってお薬をピックして帰宅したら2時。

お昼ごはん食べてちょっと一息ついたらもう4時半。5時過ぎると真っ暗になるので、慌ててまた散歩。

午後なんて散歩と散歩の間の私時間がたったの2時間半!と非常に短い冬時間。


日曜日も同様に身体はキツくて一向に楽になってない。

昨日の朝から首は寝違いで左を向くことができないし。T_T

一日たってもマシにならないのでロキソニンの湿布を貼ったら気持ちマシになったようななっていないような。^^;

これって原因は何??

それでもお昼の散歩で遠くまで出かけ、帰宅したらお昼ご飯をささっと済ませ、ソファに座らずにその勢いのまま買い物へ。

毎週末「この週末こそ買い物に行こう!」と思っていても実行できていない買い物があったのだ。


まずは白髪染めの染料。

もう白髪が増えて増えて。T_T


普段は面倒で見えるところだけを染めてたんだけど、普段染めていないところをペロンとめくってみたら・・・

開けてびっくり!!

真っ白!!!!

これ、2週間に一度染めなかったらまじ「白髪のおばあちゃん」やん!!

髪染めに疲れたのでいっそこのこと真っ白にしちゃえ!と日本へ帰国したときに美容院でそのようにお願いしたんだけど、3万円て言われてあきらめた。涙

こちらに戻っても日本で買ってきた染料を使ってたけど、もうない。

ということでいつもこちらで買ってるやつを買いに行ってきた。


そしてもう一つ。

使い勝手が悪くなった中サイズのお鍋と小さなフライパン。

これらも新しいものを慎重。




近々日本へ永住帰国するかもしれないっていうのに荷物を増やしてていいのか??と自問自答。まぁ、ないと不便なので購入。^^;


そして・・・・

買う予定のなかった国際線用のスーツケースを購入。

珍しい29インチが一つだけ売ってたのさ。><

今いるわけではないけれど、必要なときに探してもこのサイズはないんで買っちゃいました。


こんな身体でも・・・何か月もダラダラと引き延ばしにしてた買い物を実行できたのでちょっと嬉しい。

あともう一つ気になってたけどなかなかできていなかったことを実行。

ベーキングソーダとビネガーで家の中の排水溝全部を掃除!

まだ完終してないけど、気になってたけどできていなかったことを2つも実行できて私的には十分満足。^^






2024年11月11日月曜日

診察予約とれました

 やっと心臓の’ドクターの診察がとれた。

11月20日。11時。

とりあえず会って話をしてこよう。

お薬の見直しをしてもらおう。


それまでに手術をアメリカでするのか、日本でするのか、決めなければいけない。




自分を大切にするということ。

自分の甲斐署で旅行に行けるようになった20代のころは、とにかく安いホテルや旅館をとって安いチケットを探し、友達と旅行していた。

30代になって一人でも旅行へ行くようになった。

若い頃は、

「今は若くてお金もないからビンボー旅行しかできないけれど、歳を取って少し収入も増えれば並みのホテルに私も泊まれるようになるんだろうなぁ」

と思っていた。

でも現実はそうではなかった。

50を過ぎて、そこそこの収入を得られるようになった今でもビンボー旅行は変わっていない。

人並みの収入があるんだから年相応なホテルに泊まればいいのに、と思うのだけれど、貧乏性だからなのかいまだに並み以上のホテルを予約することができないし、食事にお金をかけることができない。

情けない話だ。


自分にはお金をかけれないのだ。


けれども好きなにちゃんねるのひろゆきさん曰く、それでいいのだという。

収入が増えても生活レベルを変えるべきではないと彼は言っている。

だからこそ節約ができるのだ、と。


でも何があるかわからない年代に入った。

これだけ病気を背負って生きている私は特にいつまで生きられるかわからない。


これからは節約をしながらも食べたいときに食べたいものを食べ、旅行するときはそこそこ心地よいホテルを選ぼうと思う。

肌ざわりのいいタオルを使い、着心地のいい下着やパジャマを着る。

少々高くても足の痛くならない靴を履く。

普段頑張っている自分へのご褒美として行く旅行では、清潔で居心地のいいホテルに滞在する。

飛行機の座席は追加料金を払ってでも足元にスペースある座席を選ぶ。


これが「自分を大切にする」ことなのだ、とやっと思えるようになった。





犠牲にしてまで?

この週末は三連休。

三連休の一日目は、普段の週末には飲まない濃いスタバのコーヒー を煎れて飲んだのでカフェイン強すぎて朝から動ける動ける。
なかなか売れなかったCrate Barrel の大きな本棚が売れ、朝から引き渡し。
本棚があったスペースがようやく空いたので買ってあった仕事用パソコンデスクを組み立てて設置。

今までダイニングテーブルで仕事してたので、少しだけダイニングがすっきりした。

組み立て途中に友達が来てくれ、途中から手伝ってくれた。
久しぶりにソファに座ってゆっくり話ができた。
彼女のことが大好きなアーニーはもちろん大喜び。最初から最後まで彼女の傍でメロメロだった。
さすがにお兄ちゃんになったので、昔のように「嬉しょん」はしない。笑
*「嬉しょん」とは嬉しいときに興奮しておしっこをちびってしまうこと。

夕方の散歩にも付き合ってもらい、一緒にタイ料理を食べにいった。

毎週土曜日は朝から晩までまる一日動けないのに、カフェインの大量摂取で無理やり動ける身体にしたこともあって夜になって動けなくなった。
翌日の日曜日も祝日の月曜日も休んでも休んでもまったく楽にはならなかった。

散歩がキツイ。
この週末は倦怠感だけでなくひどい頭痛もあった。
身体が重く、思うように動けない。引きずるようにしてなんとか一日4回の散歩をこなした。

先週から始まった冬時間。
夕方5時にはもう真っ暗。

平日は5時まで勤務。でもどんなに早くてもアーニーを外に連れ出してあげられるのは5時半以降。すでに外は真っ暗だ。
せいぜい近所を散歩することくらいしかできず、フリスビーをして遊んでやったり、アーニーの好きな公園へ連れて行ってやることができない。

なのでせめて週末だけでも、と平日には行けなくなった公園へ昼も夜も車に乗せて遠くまで連れていってやることにした。





平日にできないことを週末にする。

平日にたまった疲れを週末にゆっくり休んで回復したい。
平日に連れて行ったり遊んでやれない分、週末にしっかり遊んでやりたい。

でもその両立は難しい。
これが現実。

健康な身体が欲しい。

呼吸もだんだん悪化し、少し歩いただけで息切れ。
休憩なしでは散歩もままならない。

心不全の症状は、息切れ、動悸、脚の浮腫み、だけではない。

血液が正常に全身に流れないため疲れやすいといった症状もある。


健康な体が欲しい。
アーニーともっと遊んでやりたい。
仕事以外の時間(プライベートの生活)もしたいことをしたりして充実させたい。

今は平日は朝から晩まで仕事。
仕事以外の時間はアーニーの世話。

週末はときどき仕事。
それ以外はアーニーの世話かソファで横になって休んでいるかのどちらかのみ。

今の仕事を辞めない限りは時間と心にゆとりある生活はできない。
人生あっという間に終わってしまうというのに50を過ぎた今、自分を犠牲にしてまで働くだけの価値があるのだろうか。
なんだかとてももったいないことをしているような気がしてならない。







2024年11月4日月曜日

ドクターから電話あり

今朝、週明け早々9年前に手術した病院のドクターから電話がありました。

先週のうちに電話できなくてごめんね、と、最初に謝られ、本題に。

結果から言うと…

救急ではないけれど、再手術が必要だと言うことでした。

次の手術では、生体弁ではなく、機械弁にした方が良いとの事。そうすれば、もう一生手術をする必要は無いから。


9年前に手術をしてくれたドクターCにも意見を求めてみるから、とのことです。

緊急に、ということでは無いけれども、手術をして機械弁を入れるのなら早い方が良いとの事。

手術までの間は、服用している薬の見直しをし、しばらくは薬で症状を抑えることができるかもしれないので、とりあえず診察予約を入れってきちんとお話をしましょう、との事でした。


霧がかかった朝の散歩風景


機械弁にすると、血栓ができやすくなり、脳梗塞のリスクが高まることや、ワーファリンなどの血液抗凝固剤を一生飲み続けなければいけないこと、と言ったマイナスの面もあります。となると、人生残り少ないのならまだしも、これからの人生で納豆や緑黄色野菜、グレープフルーツなど食べてはいけないものがたくさん増え、この若さで脳梗塞にでもなったりしたら、自分の力では生きていくこともできず、人の助けなしでは生きていけない人生はあまりにも辛すぎる、と、思ってしまうのです。


手術をするとなるといつするのか

日本でするのか、それともアメリカでするのか

アメリカで手術をするのなら、仕事を休職するのか辞めるのか

仕事を辞めるのなら、手術後に再就職するのか

日本でするのならどこでするのか

日本でするのなら、終わったらまたこちらに戻ってくるのか

弁置換は生体弁にするのか、機械弁にするのか


たくさんの選択肢の中から、一つ一つ慎重に選んでいかないといけない。

その一つ一つの選択が、人生の大きな分かれ道になっていく。

1つ間違えると人生の大きな失敗とつながる。


機械弁を選んで脳梗塞になり、右半身不随になって大変な思いをした母を見てきただけに、今回のたくさんの選択は、私の余生を大きく左右することになるでしょう。

何も今は決めることができないけれど、後悔しないためにも自分が納得できるようになるためにも自分で考えて決めようと思います。





2024年11月1日金曜日

ドクターからの電話

心エコーの結果を見てドクターからメッセージがあったんだけど…

I have been reviewing your echocardiogram, and it seems that the valve that was placed almost a decade ago has narrowed and could be causing your shortness of breath when you walk.

I'd like to see you again and re examine you (not urgently) to determine the next steps.

Happy to expand on the phone, if you provide me with a number I can call you at.


まだドクターから電話かかってきてません。

忘れられたかしら。苦笑😅



ハロウィン🎃の日の朝焼け。



2024年10月29日火曜日

心臓超音波検査

今年の3月から心臓の状態が悪化しているとのことで、不整脈があるとかないとか、いろいろ問題はありましたが、アメリカ の 専門医によると、不整脈は無いとの判断。

不整脈と心臓の問題は分けて考えるため、不整脈のドクターとジョン・ホプキンス病院のドクターの両方から再度今年3回目のエコー検査のオーダーが出たため、ようやく今日行ってきました。

我が家から1番近い施設にしてもらったのですが、それでも片道1時間。だったら、ジョン・ホプキンス病院に行くのと変わらないし。苦笑

先ほど帰ってきて、もう検査結果が出ましたました。

検査結果を英語で呼んでると、混乱してくるのでGoogle翻訳を使って訳してみました。

僧帽弁位置の 29 mm St Jude Medical Epic ブタ弁。小葉は厚く石灰化しているように見え、おそらく変性変化による可動性の低下が見られます。重度の生体人工弁狭窄の証拠があります。平均勾配は 10 mmHg です。 MV PHT は 229 ミリ秒です。連続性を使用して計算された MVA は 0.83 cm2 です。 DVI は 3.2 (深刻な場合は >2.5) です。軽度の僧帽弁逆流があり、弁周囲の漏出はありません。   正常な左心室腔サイズ。正常な左心室壁の厚さ。正常な全体的な左心室収縮機能。通常の局所的な壁運動。 EF は 60 ~ 65% と推定されます。僧帽弁バイオプロテーゼの設定では拡張機能を等級付けできません。   正常な右心室サイズ。正常な右心室全体の収縮機能。 TAPSE (三尖弁輪面収縮期可動域) は 1.9 cm (正常 > 1.7 cm) です。 RV S' 0.09 m/s。   S/P 弁輪形成リングが三尖弁位置に認められます。リーフレットは薄くて動きやすいように見えます。軽度から中等度の三尖弁逆流が認められる。 RVSP (三尖弁逆流ジェットによる PA 収縮期圧) は 65 mmHg と推定されます。右心房圧推定値は 3 mmHg。  重度の肺高血圧症。 IVC の直径は正常で、正常な呼吸相運動があり、スニッフテストによる圧縮が 50% を超えています。三尖弁狭窄なし。平均勾配は 7 mmHg で、おそらく三尖弁逆流の存在により上昇しています。   重度に拡張した左心房。   2017 年 3 月 31 日の前回の研究と比較すると、重度の生体人工僧帽弁狭窄症と重度の肺高血圧症が見られます。

さて、病院のドクターになんと言われるのか。



本日の心エコー$1500なり。怖

2024年10月28日月曜日

どうやら風邪らしい

このいつも以上のしんどさは、10日前からの風邪が原因でした。苦笑




10日ほど前の木曜日の夜、急に気温が下がり、翌朝喉が痛くなっていたので、それ以来こまめに蜂蜜を食べていると、何とか悪化せずにすぐに治りました。

が。徐々に咳が増え、喉に痰が絡み、鼻水が止まらず、鼻の下は真っ赤っ赤。

市販の風邪薬を飲んでいるのですが、なかなか良くなってくれません。

なぜこんなにしんどいんだろうと思ったら、風邪でした。

流行っているみたいなので、皆さんもどうぞお気をつけください!

2024年10月27日日曜日

糖尿病予備軍

2週間ほど前に内分泌科のドクター(甲状腺)から血液検査のオーダーが出たので行ってきた。

その結果は…

A1Cの数値が上がっていて糖尿病予備軍とのこと。平均値を上回りなんと5.8%。

ちなみに、甲状腺のホルモンの数値も、お薬の服用量を変えてもいないのに上昇。



糖尿病に関しては、ステロイド剤の長期服用が原因かとは思うけれど、これからは食べるものや食べる量、そして食べる順番なども気をつけていかないといけないことになってしまった。

食べたいものが食べれないのは辛い。

膠原病は辛い病気だけれど、食べ物や飲み物に制限がなかったのは幸いだった。

糖尿病も怖い病気である。

予備軍のうちに何とかしなければ。。。



ちなみに、甲状腺の喉の超音波検査の結果は昨年と変化なしとの事。ほっ




紅葉狩り

ただの疲労なのか、体調悪化なのかちょっとわからないけれど、今日は倦怠感や頭痛がいつもよりひどいので手短に。

体調はいつもより良くなかったけれど、素晴らしい秋晴れと紅葉のシーズンが終わってしまう前にアーニーの大好きな遠方にある公園に連れて行ってあげたかったので行ってきた。。

期待通り、紅葉は素晴らしく、アーニーも久しぶりで大喜び



せっかく遠方までわざわざ来たのだから、と、いつものように頑張って1時間歩き、そろそろ帰ろうかと、車に乗り込んだところ…..

肩から下げていたカバンの中に、メガネが入っていない!
まさかと思ったけど、何度探してもない。

これがないと明日から仕事ができない!
そう、複視矯正のプリズムが入ったパソコン用のメガネ。
2年前にアメリカで保険なしで購入したので、300ドルをしたのに。涙😭

慌てて考えられるスポットに戻り探したけれど、やっぱりない。

なんといっても、とにかく広大な公園で、目が見えないからメガネをかけているのに、そのメガネなしで探せるはずもないのだ。

れている。体に鞭を打って、1時間歩いた後に、さらに30分歩き、体はヘトヘト。

きっと今夜、体調が良くないのは、このせいだろう。

それでも、素晴らしい秋晴れの中、色鮮やかな紅葉を見れ、行ってよかったと思う。(300ドルの価値があったかどうかはわからないけれど。苦笑)





2024年10月20日日曜日

そうかぁ、これも原因だったのか。

 お疲れさんです。^^;

ほんとに疲れますね、毎日生きてるだけで。

疲れない生き方、知ってる人がいたら教えてください。

若い頃は寝たら簡単に生き返ってたけど、あの頃の体力と回復力が欲しい!!


毎日毎日しんどくて、倦怠感があって、平日は気力で動けてるけど、週末は張ってる気が緩むともう動けません。Orz

加齢と病気のせいだと思っていたけど、ある日スレッドを読んでたら、50代の女性が全く同じことを書いておられました。

彼女は「更年期障害」が原因だと書いていて、はっとした。

そうか、更年期障害のせいもあるかもしれない。


加齢で体力も回復力も筋肉も落ちた。

寝ても疲れがとれない。

病気の症状に倦怠感がある。

病気のため全身のあちこちに痛みがある。

病気のため息切れする。

仕事で無理をし過ぎてお薬が効かなくなってきたため症状が再燃。


そして

更年期障害も加わると、


頭痛

めまい

不眠

動悸・息切れ

むくみ

ドライアイ

肩こり

腰痛

背中の痛み

関節痛

手指のしびれ・痛み・変形


も。


膠原病と心臓病の症状が重なってるから、更年期障害からきているものなのか病気からきてるものなのか判断が難しいけれど、更年期障害がより日々の生活を難しくしているのかもしれない。


色付けされたかすみ草?!

秋っぽいオレンジに一目ぼれして久しぶりにお花を購入


ちなみに、以前それほど苦痛に感じなかったベンリスタ(膠原病・全身性エリテマトーデスのための皮下注射)の注射が、ここ半年ほど前から痛くて痛くて耐え難い痛みとなってきた。

なぜだろう???

体重が減ったから?

過労と加齢のせい?


週一の自分で打つ注射が辛いこの頃。T_T






ロードトリップに出かけよう!

ではでは。

遅くなりましたが、久しぶりの休暇旅行の報告です!


先週は、水曜日がクライアントの韓国が祝日。(クライアントからのメールなし)

月曜日がアメリカの祝日でお休み。


ということで、水曜日から金曜日までの3日間だけお休みをもらいました。


昨年の6月に転職するまでは、年間27日の有給休暇(10年以上勤めていたので)+年末に10日間の冬休み=37日ほど自由に有給休暇を使うことができたのだけれど・・・

思い切って転職。

新しい今の職場ではたった年間10日間だけの有給休暇から再スタート。

仕事の忙しさからその10日間しかない有給休暇でさえ使うことができなくて。

今回やっと思い切ってお休みすることにしたんです。


転職してからずっと忙しく、特に1月からはさらに輪をかけて忙しくなり、責任も増え、出勤日も増えてずっと「仕事、仕事、仕事」。

仕事に行ってる時も仕事。

帰宅しても仕事。

平日の夜も仕事。

週末もときどき仕事。

とこんな感じで、今年に入ってからの生活はたったの「仕事」「アーニーの世話」「睡眠」の3つだけ。

アーニーの世話もやっと、で一緒に遊んだり遊びながら笑ったりする余裕もなく、ただひたすら責任を果たすために外に連れ出し、重いからだを引きずるように散歩をする。

とこんな感じで、かまってもらえなくなったアーニーは常に疲れているお母ちゃん(えのふむちゃん)の転職を全然喜んでいないと思う。


よしっ!!休みとってアーニーとロードトリップに出かけ、二人でゆったり楽しい時間を過ごそう!!

と決めたのだ。


ずっと我慢させちゃっててごめんね。T_T


正直疲れ果てていて、出かける気力も体力もないし、昔みたいに行きたいところもやってみたい・見てみたい、というような興味もない。

大好きな運転ももう昔のような長距離運転に自信もない。


とお休みを取る!と決めたものの、実は出発前日まで何も決めていなかったのだ。


つづく



秋のロードトリップ

 水曜日。

有給休暇第一日目。


とりあえず旅行へでかける体力も気力もないので、初日は週末のようにひたすら散歩時間以外は家でだらだら。何もしない。ソファで居眠り。

翌日から旅行にでかける決心をする。

旅先を決めてホテル予約をとる。

昔住んでいたピッツバーグを通過するので、ピッツバーグ在住の恩人に連絡を入れる。


木曜日。

有給休暇第二日目。


午前中、焦らずのんびり旅支度をする。

車に荷物を詰め込んで12時半に出発!


目指すデスティネーションはまずはピッツバーグ


高速をひたすら北上して4時間。

28年前の10月19日に足を踏み入れた私の長いアメリカ生活の拠点「ピッツバーグ」。

28年前はすでに紅葉まっさかりでどこを見ても真っ赤に燃えるような赤い木々。

あの頃の新鮮で希望に満ちた毎日のキラキラした生活が走馬灯のように蘇る。


Downtown of Pittsburgh

University of Pittsburgh


アーニーを連れていってやりたい公園があったのでそちらに向かおうとするが、道を覚えていない。T_T

すぐそこにあるのに行き方がわからない。検索してなんとか到着。


Carnegie Library of Pittsburgh in Squirrel Hill


アーニーは最近新しい公園が苦手になり、警戒心が強く帰りたがる。T_T

今改めて訪れると、紅葉はまだなもののこんなに素晴らしい公園だったのか!と驚くばかり。


Schenley Park

手入れが行き届いていて広々としていて本当に美しい素晴らしい公園だ。

きっと今住んでいる家の公園の周りに慣れてしまって、それが当たり前になっているんだろう。住む場所が変わればこんなに素敵な公園でアーニーを毎日散歩させてあげることができるのに。Orz

夕方になって恩師宅へ向かい、夕食におススメの美味しい「ロブスターサンドイッチ」をごちそうになり、泊めていただいた。

アーニーは2度目の訪問。生後12週目のときにミシガンの帰りに立ち寄ったことがあり、この森の中の豪邸を覚えているのか大喜び。大興奮。


金曜日。

有給休暇第三日目。


翌朝8時に出発。

めっちゃ寒い。完全に「冬」である。

ニット帽、手袋、お借りした真冬用のジャケット。マフラー。

それでも凍りそうな指先。寒い~!!


朝一番で昨日の公園へ。リベンジ。

昔週末になると友達と一緒に通ったダイナーへ。

昔はこんなものを美味しい~!と喜んで食べていたのか?!とびっくり。


Diner "Pamela's"

味が変わったのか。

たまたま頼んだメニューが外れだったのか。

たまたまその日はアンラッキーだったのか。

それともこの28年間で私の舌が肥えてしまったのか。


わからないけれど、ショックを受けてしまった。

楽しくて美味しかったいいイメージをそのままにしておけばよかった・・・。^^;


朝ごはんを済ませ、目的地のエリー湖へ向けて出発。

通過は何度もしたことがあるけれど、滞在したことのないエリー湖。

ここでホテルを2泊とってある。

ピッツバーグから車で2時間。


ひたすら高速を120キロで走って北上。

最高のドライブ気候だ。


途中サービスエリアで止まるとアーニーが大喜びする♪



サービスエリアでさえ美しい。


ちょっと散歩させて水を飲ませてまた車に乗り込んで出発。

お昼過ぎにエリー湖に到着。

エリー湖のビーチでのんびりする、というのが今回の旅行目的なので、ビーチへ直行。


最高秋晴れ。

エリー湖の中にある島へ渡り、一方通行をゆっくりのんびり窓を全開にして前に進む。


のどかな一方通行を20マイルでゆっくり湖の景色を眺めながらドライブ。


人も少なく、穏やかなビーチでアーニーとのんびり休む。



穴掘りを楽しむアーニー


アーニーは嬉しくて飛び跳ねたり走ったり、大好きな穴掘りをしたり。

仲のよさそうな老夫婦が二人で並んで座り、旦那様がギターを弾いておられる。

とてものどかな光景だ。


こんな素敵な夫婦になれるのなら再婚したいと思った。


こっちのビーチ、あっちのビーチ、とあちこち立ち寄ってのんびり過ごし、帰りには手入れの行き届いた公園を散歩してホテルへ。



紅葉はやっぱりもみじが最高だ!

夜はおススメのシーフードレストランで好きなエビとイタメシをオーダーしてホテルへ。




部屋がかなりガーリック臭くなった。笑


土曜日。

有給休暇4日目。


行ける体力はないだろう、と思っていた「ナイアガラの滝」。

調べてみるとたったの2時間で行けるということがわかった。

昔運転したときの記憶では3時間だったと記憶していただけに、2時間だと「行けるやん!」と思ってしまった。

「念のために」私のパスポートもアーニーの狂犬病のワクチン注射の証明書も持ってきた。


よし、1998年ぶりに、26年ぶりに行こうではないか、ナイアガラ!

ホテル宿泊料に込々の朝ごはんをさくっと済ませて身軽で車に乗り込んで出発!

この日も最高のお天気!ドライブにはもってこい!

道も空いているし、紅葉も見事だし、申し分なしの幸せ気分♪


カナダ入国直前!


ナイアガラ付近のカナダとの国境に無事到着。

問題なく無事入国。ネットに書かれていた料金もかからなかった。

相変わらずカナダ側はすごい人ごみ。

しかも観光客が外国人ばかりなので犬を連れて歩いている人はいない。


水嫌いのアーニーもさすがに圧巻??


アーニーも私も安心して歩ける!


顔を舐めまくるアーニー

帰る直前になってやっと滝に気づき、前へのりだすアーニー。笑

さすがカナダだ。

あちこちに見事に花が咲き乱れ、本当に美しい。

ナイアガラの滝も相変わらず見事な迫力!








最後に来た1998から今日までの間もずっと休むことなくずっとこうやってこれだけの大量の水が流れ落ちていたのか・・・。

自然の偉大さに改めて感激。


ピッツバーグに住んでいた頃は、日本から家族や友達が来るたびにここナイアガラの滝へ連れてきてあげた。

両親を連れてきてあげた時の思い出がよみがえり、少しエモーショナルになる。

今は亡き母もあの時は自分の脚で歩くことができるほど元気だった。

父も元気で喜んでくれた。

ナイアガラの滝を一望できるレストランでお昼ご飯を3人で食べたこと、カナダのホテルで3人仲良く宿泊したこと、など思い出がどんどん思い出された。

両親が元気なときに親孝行しておいてよかった。

日本でお世話や介護をする、という親孝行はできなかったけれど、アメリカにいながら私にできる親孝行ができてよかった。


びっくりしたのは滝前の駐車場が「時間ごと」ではなく「日ごと」料金で、1時間停めようが24時間停めようが一律35ドル!!!

もちろん24時間もいるはずがなく、3時間で次の目的地へ。

今回は「Niagara on the Lake」という大好きな町はパスして、一度行ってみたかったお友達おススメのカナダ・ワイナリーへ。

探してみるとナイアガラ付近には山ほどのワイナリーがある。




レビューをチェックして一番評価の高いワイナリーを選び、そちらへ向かった。

やはり混んではいたけれど、ほとんど待ち時間なしでワインテイスティングへ。




目的の「アイスワイン」を2種、ロゼのスパークリングワイン、そしてシャルドネの合計4種を試飲した。






内心「これからエリー湖まで4時間運転しないといけないうえに国境(税関審査)も通過しないといけないのに、大丈夫か、自分?」と問いながら。笑





美味しかった。

スーパーで買うより断然高価だったが、2本購入。

1本は泊めていただいたピッツバーグの恩師ご夫妻に。

そして残り一本のアイスワインは頑張っている自分への労いに。




ワインを飲んだらエリー湖のホテルへ直行。


アメリカ入国も問題なし。

帰りの景色がより美しく、空いていたこともあってビデオに残した。

夕日を反射する赤やオレンジ、黄色に紅葉した木々が見事だった。

仕事のことを完全に忘れ、アーニーとたくさん過ごし、先の心配をすることなく美しい景色を見てのんびり&ゆったり過ごせた今回の旅行は、決して高価でもなければ行ったことのない場所だったわけでもなかったけれど、リフレッシュできた本当にいい旅行となった。


帰り路の夕日もなんと美しいこと!


高速120キロで走り続けた合計17時間以上の運転だったけれど、戻っても疲れている感はああまりなく、最初の三日間はアーニーと遊んでやったり、一緒に走ってやったり、思いっきり笑ったりできる心身の余裕ができた。

4日目にはいつもの疲労感いっぱいの状態に戻ってしまったが。

それでも行ってよかったのである!!